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「屠殺場レポート~全て見せます。加古川食肉センター」
■現場を知ることは偏見をなくす?【食肉処理場公開の試み】加古川食肉センター にくのひと■
屠殺場見学に行ってきました。
一足お先に行かれたおかもんさんのブログが情報量も多く様々な視点から述べられていて素晴らしいですので、目を通して頂けると幸いです。
①屠場の見学に行ってきました@加古川食肉センター、兵庫県(こわい写真は載せてません)
②「屠場の見学@加古川食肉センター、兵庫県」の後。
③「屠場の見学@加古川食肉センター、兵庫県」の後 その2
私はありのままを全て見せるタイプです。
できるなら動画もしっかり見て頂きたいです。
以下は私の感想ですが、私の反応は無視して、それぞれの心の目で感じてほしい。
屠殺場見学に行ってきました。
沢山のカラスが集まっていました。
凄い匂いが襲って来ました。
着いた場所は加古川食肉センター。

案内してくれた方も仰ってましたが、全国で157程はある屠殺場の中で、見せよう、知って貰おうと一般に公開してるのはここ位だそうです。
行く前は正直疑っていました。
堂々と見せられると言う事は、それだけ準備がなされているということ。用意周到だということ。
全国でもTOPクラスの設備であり、全てがこうではないのに、これが全てだと思い込ませ、肉食を肯定しやすくさせるための洗脳なのではないか。
そんな風に思っていました。
でも行ってみて案内して下さった方と向き合いそれが目的ではない事を感じました。
BSE問題などが発生し、不安に感じている消費者に誤解を招かないように全て見せよう。知って貰いたい。
ここで働いてる方達の協力があったからこそ実現できた事なんだそうです。
伝えたいその一心は伝わってきました。
その姿勢には感謝したいと思いました。
と同時に、心は穏やかではいられないだろうに、ここまで必死に伝えなくてはならない、そこまでして肉が必要であるということにしなければならない、動物達だけでなく人間も追い詰められている現実に、絶望に似た何とも言えない悲しみが襲って来ました。
今日屠殺される牛は37頭。
あと少しで命を奪われていく牛たちが目の前に。。。
現実なのに現実でない。まるで夢でも見ているかのようでした。
どうしてこの子達はいまここに居なくてはならないのだろう。
どうして私はいまこんな所に居るのだろう。
彼らはいま何を感じているのだろう。。

最後のシーンだけを見て、まるでそれが全てのように思い込んでしまう人達が多いけれど、
ここは家畜として生まれ自由を奪われた牛たちの苦しい一生の中の最終ステージでしかない事を知ってほしい。
ここに来るまでにも彼らは苦しんできたのです。
彼らが少しでも自らの命を感じていられたのは、生まれて出荷されるまでの9カ月の間でしょうか。。

そうこうしてる間にも次々と、肉は必要だという事にしたい世の中の犠牲にならなければならない牛たちが運ばれてきました。
この牛は怯えていました。
ここは何処?怖い、怖いよ。。
そんな叫びが私には聞こえてくるようでした。


いよいよ屠殺場の中が見れる施設へ案内されます。
愛しい彼らが殺されていく。。。
助けてあげる事もできない、
殺したくない、食べ物にしたくないのに、食べ物という事にされ殺されていく、そんな光景を見る事になる。
誰がそんなもの見たいでしょう。見たくないに決まっています。
それでも見なければと私を掻き立てるのは、彼らの事を伝える事で救われる命がある可能性がある事を知っているから。
残酷な事から目を背けても残酷な事はなくならない。

当たり前だけど何も隠されていない。
目の前に飛び込んでくるのは真実だけです。

気絶させる為に、通路に追いやられる牛たち。
あと少しで命を奪われていく彼ら。
なんでこんな事が起こってしまっているのだろうか。。
必要ない。必要ない。必要ない。
そんな想いでいっぱいでした。
冷静に説明を聞いていられる状態ではありませんでした。
いとも簡単に次から次へと殺されていくのです。
殺されると解っていても、殺されている最中も、肉にされた後も、今もずっと、彼らの事が心配でたまりません。
冷静でいられるはずがありません。
あなたがこんな風にされたくないのなら、
この子達だってそうです。
お願いします。
肉を食べる度にどうか僕達の事を思い出してください。
肉を見る度にどうか僕達のために涙を流してください。
肉の存在にどうか僕達を殺した罪の意識を感じてください。
感謝ではなく、罪を重ねてるのだと感じてください。
低いけど壁があって隣の様子は全部ではないだろうけど見えない様にはなっていた。
何が起こっているのか解らない様子の牛。
匂いや気配を感じるのか、
後ずさりする牛。
落ち着きのない牛。
恐怖を感じてないように見える子もいたし、恐怖を感じているようにみえる子もいた。
色んな牛たちがいました。
ピストルを撃たれるその瞬間まで、ガラス越しに彼らを見つめる私は、牛と何度か目が合ったように思いました。
ごめんね、、ごめんね、、
崩れ落ちていく彼らを見ながら、、
彼らの目に映る最後の光景が私で良かった、、
そんな風に思いました。

気絶させられた(完全かは解りません)牛たちは次に動脈切開で放血させられます。
私は何度も見ました。気絶と言う事になっている牛たちの足が動いているのを。
私は何度も聞きました。
そして何度も同じ答えが返ってきます。「あれは脊髄反射です。」
最後の方で他の参加メンバーが聞きました。
「反射は解ります。でも直接的ではなく複合的な、明らかに反射ではない意識を伴う随意運動が見られました。」
担当の方はここで初めて違う反応をしました。
「動物福祉が進んでいる欧米などでもこの方法が取られている。世界でこの方法が一般的です。」と。
この反応に、
(きっと彼らの中には意識のある子もいるだろう。痛みを感じている子もいるだろう。でもそれを認めてしまったら大変な事になる。そういう事にしないといけない現実がある事を理解してほしい、、、)
そんな事実が聞こえてくるようでした。
一連の流れを見て外に出たら、剥がされた皮が流れてくるコーナーがあります。
ビックリしました。まだ動いていたのです。。
こんな姿になってでも、彼らはまだ生きていました。
動画では解りにくいですが、ピクピク、ピクピクと動いています。
彼らの命が終わったのは解っています。筋肉反応だということも解ってます。
でも私には、ついさっきまで生きていたあの子が、目の合ったあの牛が、命を訴えてる様に思えてなりませんでした。
そしていつまで経ってもずっと宙に浮いている感じがしました。
こんな世界で地に足をつけたくありません。

動画はこちら⇒http://youtu.be/NO83lH8bQ58
見学が終わった後は、DVD観賞。
見学だけでは伝わりにくい部分があるという事で用意されたそうです。
牛の誕生から命を奪い食卓に並べる最後までを改めて見せてくれます。
食肉の裏側を見て「感謝しよう。」
そういう人は多いでしょう。
私も以前はそうでした。
命に申し訳ない事をしている。
罪の意識を感じているからこそ、感謝と言う事にして自分の罪を軽くしたかったのです。
エゴでした。
そしてそれは「食べなければならない。」が前提になっているからなんだと思います。
動物問題を知る前「ブタがいた教室」を見た時の私がそうでした。
食べたくなければ食べなくてもいい。
それだけ。
心が痛いならそれに従ったらいい。
自分の心に蓋をするのを止めたらいい。
とてもシンプルな事だと言う事に気付いたら世界が変わる。
真実を知れば知るほど、見える景色が変わってくる。
見学を終えて見た景色は、更に曇り空に変わっていた。
真実に向き合う事は苦しいかもしれない。
でも私は貧しい心で生きるより、その苦しみを選ぶ。
君達と人間の笑顔がみたいから。

終わってからはみんなで神戸元町の「モダナークカフェ」に行き、命の犠牲のない食事を。
ここで見つけたチラシ。
何だか色んな事が繋がっていくなと思った。
「ある精肉店のはなし(仮題)~ひとつの家族から始まる 関わり合ういのちの記録」

屠殺場見学に行ってきました。
一足お先に行かれたおかもんさんのブログが情報量も多く様々な視点から述べられていて素晴らしいですので、目を通して頂けると幸いです。
①屠場の見学に行ってきました@加古川食肉センター、兵庫県(こわい写真は載せてません)
②「屠場の見学@加古川食肉センター、兵庫県」の後。
③「屠場の見学@加古川食肉センター、兵庫県」の後 その2
私はありのままを全て見せるタイプです。
できるなら動画もしっかり見て頂きたいです。
以下は私の感想ですが、私の反応は無視して、それぞれの心の目で感じてほしい。
屠殺場見学に行ってきました。
沢山のカラスが集まっていました。
凄い匂いが襲って来ました。
着いた場所は加古川食肉センター。

案内してくれた方も仰ってましたが、全国で157程はある屠殺場の中で、見せよう、知って貰おうと一般に公開してるのはここ位だそうです。
行く前は正直疑っていました。
堂々と見せられると言う事は、それだけ準備がなされているということ。用意周到だということ。
全国でもTOPクラスの設備であり、全てがこうではないのに、これが全てだと思い込ませ、肉食を肯定しやすくさせるための洗脳なのではないか。
そんな風に思っていました。
でも行ってみて案内して下さった方と向き合いそれが目的ではない事を感じました。
BSE問題などが発生し、不安に感じている消費者に誤解を招かないように全て見せよう。知って貰いたい。
ここで働いてる方達の協力があったからこそ実現できた事なんだそうです。
伝えたいその一心は伝わってきました。
その姿勢には感謝したいと思いました。
と同時に、心は穏やかではいられないだろうに、ここまで必死に伝えなくてはならない、そこまでして肉が必要であるということにしなければならない、動物達だけでなく人間も追い詰められている現実に、絶望に似た何とも言えない悲しみが襲って来ました。
今日屠殺される牛は37頭。
あと少しで命を奪われていく牛たちが目の前に。。。
現実なのに現実でない。まるで夢でも見ているかのようでした。
どうしてこの子達はいまここに居なくてはならないのだろう。
どうして私はいまこんな所に居るのだろう。
彼らはいま何を感じているのだろう。。

最後のシーンだけを見て、まるでそれが全てのように思い込んでしまう人達が多いけれど、
ここは家畜として生まれ自由を奪われた牛たちの苦しい一生の中の最終ステージでしかない事を知ってほしい。
ここに来るまでにも彼らは苦しんできたのです。
彼らが少しでも自らの命を感じていられたのは、生まれて出荷されるまでの9カ月の間でしょうか。。

そうこうしてる間にも次々と、肉は必要だという事にしたい世の中の犠牲にならなければならない牛たちが運ばれてきました。
この牛は怯えていました。
ここは何処?怖い、怖いよ。。
そんな叫びが私には聞こえてくるようでした。


いよいよ屠殺場の中が見れる施設へ案内されます。
愛しい彼らが殺されていく。。。
助けてあげる事もできない、
殺したくない、食べ物にしたくないのに、食べ物という事にされ殺されていく、そんな光景を見る事になる。
誰がそんなもの見たいでしょう。見たくないに決まっています。
それでも見なければと私を掻き立てるのは、彼らの事を伝える事で救われる命がある可能性がある事を知っているから。
残酷な事から目を背けても残酷な事はなくならない。

当たり前だけど何も隠されていない。
目の前に飛び込んでくるのは真実だけです。

気絶させる為に、通路に追いやられる牛たち。
あと少しで命を奪われていく彼ら。
なんでこんな事が起こってしまっているのだろうか。。
必要ない。必要ない。必要ない。
そんな想いでいっぱいでした。
冷静に説明を聞いていられる状態ではありませんでした。
いとも簡単に次から次へと殺されていくのです。
殺されると解っていても、殺されている最中も、肉にされた後も、今もずっと、彼らの事が心配でたまりません。
冷静でいられるはずがありません。
あなたがこんな風にされたくないのなら、
この子達だってそうです。
お願いします。
肉を食べる度にどうか僕達の事を思い出してください。
肉を見る度にどうか僕達のために涙を流してください。
肉の存在にどうか僕達を殺した罪の意識を感じてください。
感謝ではなく、罪を重ねてるのだと感じてください。
低いけど壁があって隣の様子は全部ではないだろうけど見えない様にはなっていた。
何が起こっているのか解らない様子の牛。
匂いや気配を感じるのか、
後ずさりする牛。
落ち着きのない牛。
恐怖を感じてないように見える子もいたし、恐怖を感じているようにみえる子もいた。
色んな牛たちがいました。
ピストルを撃たれるその瞬間まで、ガラス越しに彼らを見つめる私は、牛と何度か目が合ったように思いました。
ごめんね、、ごめんね、、
崩れ落ちていく彼らを見ながら、、
彼らの目に映る最後の光景が私で良かった、、
そんな風に思いました。

気絶させられた(完全かは解りません)牛たちは次に動脈切開で放血させられます。
私は何度も見ました。気絶と言う事になっている牛たちの足が動いているのを。
私は何度も聞きました。
そして何度も同じ答えが返ってきます。「あれは脊髄反射です。」
最後の方で他の参加メンバーが聞きました。
「反射は解ります。でも直接的ではなく複合的な、明らかに反射ではない意識を伴う随意運動が見られました。」
担当の方はここで初めて違う反応をしました。
「動物福祉が進んでいる欧米などでもこの方法が取られている。世界でこの方法が一般的です。」と。
この反応に、
(きっと彼らの中には意識のある子もいるだろう。痛みを感じている子もいるだろう。でもそれを認めてしまったら大変な事になる。そういう事にしないといけない現実がある事を理解してほしい、、、)
そんな事実が聞こえてくるようでした。
一連の流れを見て外に出たら、剥がされた皮が流れてくるコーナーがあります。
ビックリしました。まだ動いていたのです。。
こんな姿になってでも、彼らはまだ生きていました。
動画では解りにくいですが、ピクピク、ピクピクと動いています。
彼らの命が終わったのは解っています。筋肉反応だということも解ってます。
でも私には、ついさっきまで生きていたあの子が、目の合ったあの牛が、命を訴えてる様に思えてなりませんでした。
そしていつまで経ってもずっと宙に浮いている感じがしました。
こんな世界で地に足をつけたくありません。

動画はこちら⇒http://youtu.be/NO83lH8bQ58
見学が終わった後は、DVD観賞。
見学だけでは伝わりにくい部分があるという事で用意されたそうです。
牛の誕生から命を奪い食卓に並べる最後までを改めて見せてくれます。
食肉の裏側を見て「感謝しよう。」
そういう人は多いでしょう。
私も以前はそうでした。
命に申し訳ない事をしている。
罪の意識を感じているからこそ、感謝と言う事にして自分の罪を軽くしたかったのです。
エゴでした。
そしてそれは「食べなければならない。」が前提になっているからなんだと思います。
動物問題を知る前「ブタがいた教室」を見た時の私がそうでした。
食べたくなければ食べなくてもいい。
それだけ。
心が痛いならそれに従ったらいい。
自分の心に蓋をするのを止めたらいい。
とてもシンプルな事だと言う事に気付いたら世界が変わる。
真実を知れば知るほど、見える景色が変わってくる。
見学を終えて見た景色は、更に曇り空に変わっていた。
真実に向き合う事は苦しいかもしれない。
でも私は貧しい心で生きるより、その苦しみを選ぶ。
君達と人間の笑顔がみたいから。

終わってからはみんなで神戸元町の「モダナークカフェ」に行き、命の犠牲のない食事を。
ここで見つけたチラシ。
何だか色んな事が繋がっていくなと思った。
「ある精肉店のはなし(仮題)~ひとつの家族から始まる 関わり合ういのちの記録」

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