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知らなければ心は痛まない だから知ろうともしない
伝えたら想いを受け取ってくれる人が必ず居る。
そんな想いがどんどん広がったらどんな未来が待っているでしょうか。
~ねこひなさんより転載です~
「知らなければ心は痛まない だから知ろうともしない」
私が、このブログを書き始めた動機は
サブタイトルにもあるけれど
ベジタリアンという選択をした人間のひとりとして
何かを伝えたい、と思ったから。
ベジタリアンを選択した動機は
人間の動物への残酷さを知って、それに耐えられないと感じたから。
毛皮がどうやって作られているのか、私たちは知らない。
目にすることもない。
食肉がどうやってつくられているのか、私たちは知らない。
知らないから、平気で肉を食べることができる。
犬猫がどうやって殺されているか、私たちは知らない。
知らないから、
「志村どうぶつえん」なんかを見て
かわいい~、と目を細めているだけで終わる。
乳牛がどうやって作られ、乳を搾り取られているか
私たちは知らない。 知らないから
牛乳はからだにいい、という洗脳を鵜呑みにして
やっぱ牛乳でしょ、なんてCMに騙され続け、罪の意識もなく飲むことができる。
毛皮はあったかい。ウールはあったかい。って・・
毛だけを刈り込むから、殺してなんかいない、と
多くの人が信じている。
その方が都合がいい人がたくさんいるから、ほんとのことは教えない。
学校でも真実を教えない。
ちょっと原発に、いやかなり原発に似ている。
経済が優先され事実は葬り去られるところ。
人々が真実を知らない方がいいから、隠遁するところなんてそっくりだ。
知らなくてごめんなさい。
知らないから、許されていいのだろうか。
どうやって作られる?
って一度でも考えて見られるといいんだけど・・
わたしたちは、本当に、何も考えないで暮らしている。
週末の予定とか、自分たちの将来ばかりを考えて・・・
今目の前にある物事についてよく考えることをしない。
牛や豚がどうやって殺されているか、どこで殺されているか
誰が殺しているのか。 彼らは、その時どんな表情をみせるのか。
毛皮はどこで作られいるのか。、何の毛皮か。
皮をはぎ取られて生きていられるはずはない。
生きたまま皮を剥ぎ取られて、じわじわと死んでいく動物を
だれが凝視できるだろうか。
乳牛は、乳を出すために無理やり生殖させられる
でも生まれた子供は母牛の乳を飲むこともできず、すぐ引き離される。
こどもが雄だと肉牛としてすぐ売られていく。一年もたたすに殺される。
何度も何度も子供を産ませ、乳を盗み取られている牛たち。
一日に3回も、機械で搾り取られているという・・・。 安いはずだ。
牛や豚だけじゃない。 競走馬の行く末も屠殺。
嫌がる馬をひきづって刑場に連れて行く。
その首を切る人間の意識は、はたして正常か?
動物実験と称して、無理やり火にあぶりつけたり
ハンマーで足の骨をたたきつぶす人間は
果たして、正気か?
わたしには、わからない。
わたしには、それは狂気に映る。
たとえ、延々と人間が続けていたことだと言えども。
世の中にあふれている残酷。
それを、社会は徹底して隠す。
隠す理由は、それを映し出すと、多くの人の心が痛むからだ。
本能的に、人は痛みを避けようとする。
心の痛みもさけようとする。
でも、そんな風に自分だけを守ることが「エゴイズム」であると
気が付いているだろうか。
引き受けるべき痛みから目を背ける。
背けていいよ、と社会も教える。
見る必要は、ない、と。
本当は、子供たちも見るべきだ。
それが真実なのだから。
映像でなくても、言葉だけでもいい。知らなくてはいけない。
私は殺していない。スーパーで買っているだけ。
私は殺していない。衣料品で売っていたから買っただけ。
だから、いいなんてことはないはず。
直接手をくださなくても・・
購買者のために、彼らは、日々、
残虐に殺され続けている。
知らないことは、一番悲しいことだ。
誰かの道具に成り果てることだから。
知ることで、初めてその人の意志で、その人の考えで選び取ることができる。
文明の発展は、「知らない」人々を
「知る」人々が操作する時代を作ってきてしまった。
どれだけ知らせるか、いつも情報は操作されている。
だから、私たちはいつも考える癖をつけなくてはいけない。
これは、どうやって? どこから? ここに来たのか、と。
追記:
いつもはもっとぼんやりした動物愛護家ですが、
さっち~さんのブログ記事を見て
筆が走りました。
ウールの思い込みを捨てよう
http://ameblo.jp/amour918/entry-11034452805.html
私は映像までは見ていませんが
どんな分野も効率と金儲けを追及するとこんなことになってしまうとは・・・
言葉がありません。
~転載終了~
まずは知ろうとすること。関心を持つ事。
そして何より重要なのは知った後どうするか。
要は自分(命)と向き合えるかどうかの選択。
これだけ命が傷つけられている事実を知っても、
「考えようとしない、知らなかった事にする」のは、
結局自分の命にも目を背けているという事です。
そんな想いがどんどん広がったらどんな未来が待っているでしょうか。
~ねこひなさんより転載です~
「知らなければ心は痛まない だから知ろうともしない」
私が、このブログを書き始めた動機は
サブタイトルにもあるけれど
ベジタリアンという選択をした人間のひとりとして
何かを伝えたい、と思ったから。
ベジタリアンを選択した動機は
人間の動物への残酷さを知って、それに耐えられないと感じたから。
毛皮がどうやって作られているのか、私たちは知らない。
目にすることもない。
食肉がどうやってつくられているのか、私たちは知らない。
知らないから、平気で肉を食べることができる。
犬猫がどうやって殺されているか、私たちは知らない。
知らないから、
「志村どうぶつえん」なんかを見て
かわいい~、と目を細めているだけで終わる。
乳牛がどうやって作られ、乳を搾り取られているか
私たちは知らない。 知らないから
牛乳はからだにいい、という洗脳を鵜呑みにして
やっぱ牛乳でしょ、なんてCMに騙され続け、罪の意識もなく飲むことができる。
毛皮はあったかい。ウールはあったかい。って・・
毛だけを刈り込むから、殺してなんかいない、と
多くの人が信じている。
その方が都合がいい人がたくさんいるから、ほんとのことは教えない。
学校でも真実を教えない。
ちょっと原発に、いやかなり原発に似ている。
経済が優先され事実は葬り去られるところ。
人々が真実を知らない方がいいから、隠遁するところなんてそっくりだ。
知らなくてごめんなさい。
知らないから、許されていいのだろうか。
どうやって作られる?
って一度でも考えて見られるといいんだけど・・
わたしたちは、本当に、何も考えないで暮らしている。
週末の予定とか、自分たちの将来ばかりを考えて・・・
今目の前にある物事についてよく考えることをしない。
牛や豚がどうやって殺されているか、どこで殺されているか
誰が殺しているのか。 彼らは、その時どんな表情をみせるのか。
毛皮はどこで作られいるのか。、何の毛皮か。
皮をはぎ取られて生きていられるはずはない。
生きたまま皮を剥ぎ取られて、じわじわと死んでいく動物を
だれが凝視できるだろうか。
乳牛は、乳を出すために無理やり生殖させられる
でも生まれた子供は母牛の乳を飲むこともできず、すぐ引き離される。
こどもが雄だと肉牛としてすぐ売られていく。一年もたたすに殺される。
何度も何度も子供を産ませ、乳を盗み取られている牛たち。
一日に3回も、機械で搾り取られているという・・・。 安いはずだ。
牛や豚だけじゃない。 競走馬の行く末も屠殺。
嫌がる馬をひきづって刑場に連れて行く。
その首を切る人間の意識は、はたして正常か?
動物実験と称して、無理やり火にあぶりつけたり
ハンマーで足の骨をたたきつぶす人間は
果たして、正気か?
わたしには、わからない。
わたしには、それは狂気に映る。
たとえ、延々と人間が続けていたことだと言えども。
世の中にあふれている残酷。
それを、社会は徹底して隠す。
隠す理由は、それを映し出すと、多くの人の心が痛むからだ。
本能的に、人は痛みを避けようとする。
心の痛みもさけようとする。
でも、そんな風に自分だけを守ることが「エゴイズム」であると
気が付いているだろうか。
引き受けるべき痛みから目を背ける。
背けていいよ、と社会も教える。
見る必要は、ない、と。
本当は、子供たちも見るべきだ。
それが真実なのだから。
映像でなくても、言葉だけでもいい。知らなくてはいけない。
私は殺していない。スーパーで買っているだけ。
私は殺していない。衣料品で売っていたから買っただけ。
だから、いいなんてことはないはず。
直接手をくださなくても・・
購買者のために、彼らは、日々、
残虐に殺され続けている。
知らないことは、一番悲しいことだ。
誰かの道具に成り果てることだから。
知ることで、初めてその人の意志で、その人の考えで選び取ることができる。
文明の発展は、「知らない」人々を
「知る」人々が操作する時代を作ってきてしまった。
どれだけ知らせるか、いつも情報は操作されている。
だから、私たちはいつも考える癖をつけなくてはいけない。
これは、どうやって? どこから? ここに来たのか、と。
追記:
いつもはもっとぼんやりした動物愛護家ですが、
さっち~さんのブログ記事を見て
筆が走りました。
ウールの思い込みを捨てよう
http://ameblo.jp/amour918/entry-11034452805.html
私は映像までは見ていませんが
どんな分野も効率と金儲けを追及するとこんなことになってしまうとは・・・
言葉がありません。
~転載終了~
まずは知ろうとすること。関心を持つ事。
そして何より重要なのは知った後どうするか。
要は自分(命)と向き合えるかどうかの選択。
これだけ命が傷つけられている事実を知っても、
「考えようとしない、知らなかった事にする」のは、
結局自分の命にも目を背けているという事です。
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