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愛する人(動物達)をなくしたあなたへ 後篇
51.自分を慰めてあげてください
もし、あなたの目の前に悲しみに打ちひしがれた人がいたら、あなたは声をかけて励ましてあげないでしょうか。同じように、自分自身に声をかけて励ましてあげませんか。あなたは、誰よりもあなた自身のつらさを知っています。あなたが夜も眠れずに涙で枕を濡らした長い夜を知っています。そしてあなたは、誰よりもあなたを慰める方法を知っています。こんなにも人を愛し、その結果、傷ついてしまっている自分を、決していじめることなく、愛して、救いを与えることを考えてあげてください。
52.人は幸せになる義務があります
人は誰でも、悲しみや苦しみの壁を乗り越えて幸せにならなければいけません。これはおそらく、義務なのです。
生きて、幸せになってください。
53.これから生まれてこようとした赤ちゃんは
その子はあなたの顔さえ見ないで息絶えてしまったのかも知れません。あなたの胸に抱かれることさえなかったのかも知れません。でも、その赤ちゃんはあなたの体から引き離されることなく、あなたと一緒の体で過ごしたのです。そして、温かいお腹の中であなたの愛だけを受けた生を過ごしたのです。
54.夭逝した子供達は大人の汚さを知らないまま天使になりました
子供の頃の純粋さ、愛情のストレートな表現、正義感などは、大人になれば失われていくものです。夭折した子供達はこのような世の中の汚れに染まらないで、神の許に召されました。生きていくつらさを味わうことなく、無垢なまま無邪気に生を終えました。それはそれで幸せな人生だったのではないでしょうか。年若く逝った子供ほど、きっと、もうこの世で学ぶことの少なかった輝いた魂の持ち主だったのです。
55.生まれ変わり
愛する人を亡くすと、その人の面影をあらゆるものに求めます。生き返った姿を夢に見たりするのはその典型的な例でしょう。その人の若く溌剌とした元気な姿をイメージの中で追い求めてしまうものです。
そして、あなたが親を亡くしたとき、その人を端々にわたって生き写しにした人物、しかもまだ若々しい姿が生きて実在するのです。----それは、あなたです。
親の友人や親戚達はそのひとの面影をあなたに求めるでしょう。周囲にとって、夢にまで見るようなその人の生き姿があなたなのです。
あなたは親の命を分けられてこの世に生をうけました。その人と誰よりも深い関係と血のつながりをもっているあなたは精神的にも肉体的にも、その人の在り方を多く受け継いでいます。
あなたは親の生まれ変わりなのです。
あなたは親の死を乗り越え、その分まで生を輝かせなければいけません。
56.命の流れ
人通りの多い通りを眺めてください。老若男女さまざまな人たちがいます。その人たちの百年後のことを考えてみてください。ほぼ全員が寿命を終えているでしょう。しかし、その通りの百年後には、やはりさまざまな人々が歩いているでしょう。
生の数だけ死があり、一人一人の生と、一人一人の死があるのです。
そして、百年後に歩いている人たちは、彼らから生を受け継いだ人たちです。
こうして川の流れのように、生は流れているのです。
57.その人は、生命の故郷である大地と海にかえり、再び世界と一つになったのです
地球上に生命のなかった頃、そこには大地と海と大気しかありませんでした。そこから、あらゆる物質と生命が生み出されたのです。その人は、遠い故郷にかえったのです。
58.自然の摂理
花は美しさを誇った後には、種子を残し、枯れていきます。そして、次の季節には再び花を咲かせます。
同じように、人は生まれ、子供を育て、そして死んでいきます。
このように生命は子供へと引き継がれているのです。
---それが自然の摂理です。
あなたの親は自然の摂理を全うし、あなたという命をここに残しました。
あなたの命がさらに引き継がれ、命が滔々と流れていくのです。
59.形あるものは滅びる
あらゆる生命は、死ぬべき運命を背負っています。誰もがいつかは死を迎えます。生の数だけ死はあります。死は決して特殊なハプニングではなく必然的な結果でしかありません。あなたが生きている間にその人が死ぬか、あなたが生きていないときに死ぬかの違いだけです。
60.その人の思い
あなたが泣いても、泣かなくても、その人は、もう、いません。
あなたが悲しんでも、悲しまなくても、その人は、もう、いません。
人生には逃れようのない現実というものがあります。どんなに否定しても、否定しても、その人は生き返らないのです。でも、もし、その人が生きていたら、いまの自分に何と声を掛けるかを想像してみてください。「そんなに泣かないで」と言っていませんか?そのひとにとって、あなたのそんなに悲しむ姿を見るのはつらいことではないでしょうか?
だから、泣かないでください。悲しまないでください。そのひとがあなたの心の中で生きているのなら、あなたにはそういう声が聞こえるはずです。
そのひとの思いが伝わらなくなったら、本当にそのひとはあなた心の中からも死んでしまいます。
心の中に生きている、そのひとのメッセージに耳を傾けてください。
61.見つめ合い
涙が枯れた後には、その人のことを静かに思ってください。
思慮分別を持ち込まずに、何がいけなかったと判断をせずに、そして、その人の顔と姿だけを思い浮かべてみてください。
そのとき、何も言葉をかけないで、その人を見つめてください。
その人は静かに見つめ返してくれるでしょう。
沈黙の内にその人の存在を感じてください。
そのとき、言葉によらず、その人の思いはあなたに伝わるはずです。
62.死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない
このように哲学者ソクラテスは言いました。死は残された者にとっては、悲しく痛ましいできごとですが、もしかしたら、本人にとって死はあらゆる善きものの中で最高のものかも知れないのです。
63.いくら泣いても帰ってこないから----
人は何処から来て、何処へ行くのか。その人は、永遠の魂を得て幸せに暮らしているのか、それとも永遠に世界から消滅したのか、それさえも分かりません。その中で、ただ一つはっきりとしていることは、あなたがいくら泣いても、その人は帰ってこないということです。そして、あなたが、いまここに生きているということもはっきりとしています。その人の分まで生きてみませんか。
64.天国と地獄
すでにこの世にいないその人は何処に行ったのでしょうか。きっと天国でしょう。もちろんその人は地獄なんかに行っていません。そんな心配をする必要はありませんよ。だって、あなたにこんなに愛された素晴らしい人が地獄になんか墜ちる訳がないじゃないですか!
65.運命
人の人生には何が起こるか分かりません。未来は不確定で、何一つ確実なことはありません。しかし、人生の中でただ一つだけ確実に起こるできごとがあります。----それが死です。
66.汝、死を思え~メメント・モリー
人は死に直面することによって、よりよき生をつくり出すことができます。惰性に流されず、「何のために自分は生きているのだろう」と真摯に考えることによって、本当の人生の意義を見いだすことができます。
67.人生の材料、それは時間
人生は時間という材料からできています。その人の死は、あなたの限られた時間---生を、稲妻のように照らし出したのではないでしょうか。あなたもやがて、遅かれ早かれ死にます。それまでにやっておきたいことはありませんか。あなたには限られた時間しかないのです。人は誰でも死刑囚だといいます。人は必ず死ぬものと運命づけられているからです。
その人の死は自分の生を一閃のもとに照らす光となったはずです。その人の照らした光の中で見たものを無駄にせず、より時間を大切に使っていってください。
68.ぼろぼろになってしまったあなたに
悲しみや苦しみは、あなたの愛情の深さを示すものにほかなりません。
悩みや迷いは、あなたの人生への誠実さを示すものにほかなりません。
これらのことと真摯に向き合えば、身も心も疲れ果ててしまうかも知れません。
ときに、何もかも嫌になってしまうかも知れません。
いま、無力感のうちに、酔生夢死(すいせいむし)のごとく生きているのでしょうか。
もう、自分の人生はやり直せないと思っているのでしょうか。
そんなことはありません。あなたが、自分や自分の人生を嫌と感じている自分がいる限り、やり直せます。そのように判断をしている高い自分が心の中にいる限り、本当のあなたは昔のままのあなたなのです。
本当の自分に力を与えてあげてください。
69.泣かないで、笑おうよ
あなたの周りの人もあなたの泣き顔なんて見たくない。あなたの笑顔をみたいと思っている。あなたのことを心配している。---泣かないで、笑おうよ。その人達のためにも。
70.誰もが悲しみを背負って生きている
この世に生きている人たちの多くは、愛する人を失う悲しみを知っています。そしてそれを乗り越えて生きているのです。悲しみの渦中にいると、世の中の悲しみが自分だけに降りかかっているように思いがちですが、誰もが、寂しさ、哀しみ、悲しみを抱えて生きているのです。
71.その人への贈り物
人間というものは不思議なもので、朝、目を覚ますと同時に涙が流れ落ちるというようなつらい日々を過ごしていても、人前に出れば明るく振る舞えるものです。
そうすれば、誰にも心配もかけないし、その時は楽しく過ごせるものです。
泣いて暮らすのも一生。笑って暮らすのも一生。その人はあなたが楽しく愉快に暮らすことを望んでいるのではないでしょうか。----その人が人生でやり残した楽しみを代わりに体験してあげて、その人へのおみやげ話にしてあげませんか。
72.死は平等に割り振られています
悠久の宇宙の流れからみれば、人の一生なんて星の瞬きのようなものです。
生きて死ぬ----そのことはすべての生き物に平等に与えられています。短い人生、長い人生、いろいろあります。あなたはその人の死で神を恨むかも知れません。でも、その人が長く生きていればいる程、愛する人と死に別れて悲しみに直面する数が多くなるのです。誰よりも長く生きれば、誰よりも多くの家族、親戚、友人を見送らなければならないでしょう。
死は平等に割り振られています。
73.長い闘病の果てに、あるいは晴天の霹靂に撃たれたように
その人は長く苦しい闘病の果てについに力尽きたのかも知れません。あるいは、その人はその日の朝までピンピンと元気だったのに事故で突然の最期を遂げたのかも知れません。
前者の場合、長い闘病の間、その分、周囲の人の励ましや心遣いを感じることができ、痛みや苦しみと引き替えに多くの愛に包まれたでしょう。後者の場合、残しゆく者への思いに苦しまず、また痛みも一瞬だけだったのでしょう。
----その人の死だけが、特別に悲惨なものだった訳ではないのではないでしょうか。
74.その時、その時を精一杯愛することを教えてくれた
あなたの涙がこみ上げてくるとき、それは例えば、あんな傷つける言葉を吐かなければよかった、もっと優しくしてやればよかった、などの懺悔の気持ちに沈むときではないでしょうか。
こうして愛する人との関係を振り返る中で、あなたの魂は清純化され、悔い改められていきます。
あなたはその人から学ぶはずです。見過ごしてきた人と人の理想の関係を。
75.人生には何一つ無駄なできごとはない
人生には何一つ無駄なできごとはない、といいます。あなたのこの悲しみさえ、多くの真実を学ぶために用意されているステップなのです。
この涙はあなたの心の傷を癒し、あなたの心の中を純化させるためのものです。この悲しみは、あなたに愛の尊さを教えるためのものです。この苦しみは、あなたに人の心の痛みが分かる人間に成長させるためのものなのです。そう考えてみませんか。
76.厳冬の中にも咲く花はある
雪降る冬のさなかにも、美しく咲く花はあります。
何のために、花は咲くのでしょう。理由なんてありません。ただ、生きて、あるだけです。
寒いからといって、自ら枯れることはありません。
あなたは、悲しみに生きていく気力が根こそぎにされるような思いをしているのでしょう。でもこの雪の中の花のように、生きて存在してみませんか。
77.人に優しく、穏やかに
誰に対してでも、優しく、穏やかでいたいと思いませんか。
もう、誰も傷つけないでいたいと思いませんか。
そう思うのだったら、自分も傷つけてはいけません。
自分を傷つける権利は、あなた自身にもありません。
78.心はときどき洗濯しなければいけない
心の使用説明書はどこにもありませんが、心というものはたまに気晴らしという名の洗濯をしなければいけないものなのです。そうしないとストレスという汚れがたまってしまいます。
心もいろいろな方法で洗濯しないといけません。たとえ、外がどしゃぶりでももちろん洗濯はしないとだめです。
79.悲しみは再生への道しるべ
痛みは体の危険を知らせるためにあります。心の痛みが悲しみです。愛を失ったことに対して、愛が足りないと叫びを発しているのです。心の痛みで涙が流れ落ちます。この痛みは、あなたが持っていた愛の重要さ、そして、あなたが新たな愛を獲得する必要があることを教えてくれています。
80.あきらめてしまうことが一番おそろしいこと
ある人が言いました。「困難にぶつかることよりも、人に裏切られることよりも、つらいことよりも、悲しいことよりも、苦しいことよりも、もっと恐ろしいのは、あきらめてしまうこと。----そこで全てがおわってしまうから。」
悲しみに心を塞いでも、決してあなたの人生をあきらめないでください。
81.それでも生きてゆく
どんなにぼろぼろになろうと、やはりそれでも生きてゆくしかないのです。
なにしろ死ぬのはもっと大変なことですし、遺された人たちに昏い(くらい)悲しみをばらまき、その人たちの人生に破壊的なダメージを与えてしまうことになります。
立ち止まっても、落ち込んでも構いません。人生には最初から捨ててかからなければいけない何年かがあるといいます。耐えるときにこそ、人間の真価が問われます。
いくら悲しいといっても、一日、二十四時間悲しく、つらい訳ではありません。
日々の生活の中にある、ささやかな喜びを見い出していってください。
幸せは身近なところにありますよ。
82.死を死ぬ人はいない。それは眠りと同じ
死ぬ人間にとって、死は存在しないのです。だって死を感じる前に死んでしまっているのですから。それ自体は眠ることとまったく同じです。眠る直前に痛みや恐怖があったかも知れませんが、いまは安らかに眠っています。永遠に。
83.夢
人生は夢のようなものです。夢を見ている間は夢を見ていると知れません。
84.死に向き合うとき、人は世の中で身につけた飾りを落とし、素裸の自分に戻ります
あなたはただ悲しみだけの存在になって赤ん坊のように泣きじゃくり、死んでいった人に、総ての魂でもって懺悔し、そして、総ての魂でもって愛を吐露します。何のために生きているのかあなたは自分の命を見据えて死と対面します。そのときに、あなたはより深い、飾りのない本当の自分に対面します。
85.ほんとうの芸術はいたましさの中から生まれます
真の人の心をうつ芸術は、魂の深みから生まれます。人と人生の在り方を見据えたところから、痛みの中から、苦しみの中から、ぎりぎりのところから、憬れ(あこがれ)として生まれるのです。その人の魂の遍歴が作品に刻み込まれるのです。
86.言葉I
「愛している」、「ありがとう」、「ごめんなさい」----その人が生きている間に、十分に声をかけてあげられなかった言葉があると思っているのかも知れません。そのことであなたは後悔し、自分を責めているのかも知れません。でも、完璧なコミュニケーションを常に保っている関係など無いのです。その人は分かっていると思います。あなたが、いまそんな風にその言葉を口にしたかった、と思っていることを。
87.言葉II
あなたが言えなかった言葉をその人に充分に理想的に言えていたとします。でも、もしそうだったとしてもあなたの悲しみの程度はきっと変わりません。コミュニケーションできていてもできていなくても、あなたがその人を愛する、そしてその人があなたを愛する絶対量は変わらないのではないでしょうか?人は誰でも不完全ですが、人と人との間には言葉に左右されない深い愛情の海があるのではないでしょうか。
88.その人は永遠を手に入れました
宇宙(そら)を巡る地球のように、地球を満たす海のように、海を亘る風のように----その人は永遠の自然の一部となりました。その人は、ひとの世を先に卒業して、そんなふうに世の中に遍在する存在となったのではないでしょうか。そこは、ひとの世の憂いも、哀しみも、欲望もない、透明な魂の世界です。
89.絆
もし、逆に、あなたがその時に死んでいたら、その人はあなたと同じくらい悲しんだのではないでしょうか。
90.その人が大切にした人
ひとは一人で生まれ、一人で死にます。
でも、素晴らしいことは、生と死の間には出逢いと愛情があることです。生まれ落ちてから、あなたが、いまあるあなたに成長したことです。
すべての瞬間にあなたは、あなたであることを選択しつづけ、いまのあなたができています。
そして、その人との関わりの中であなたは、いまのあなたになりました。
その人があなたの一部であったように、あなたはその人の一部なのです。
その人が愛したあなたはひとりしかいません。
あなたがその人のことを大事に思うように、あなたの人生も大事に思ってください。
91.命の価値
何をあなたは望みますか。その人が生き返ること以外に。
もう、いままでのような車や家や宝石などの物質に対する欲望など霞んでしまったのではありませんか?
あなたの命と引き替えにその人の命を取り戻してほしいとさえ、神に祈りませんでしたか?
世の中で、本当に大切なものは、何ですか?
それは、命です。
その人の、命です。そして、あなたの、命です。
(そして、すべての命です)
92.心の拠り所を失ったあなたへ
あなたは、信仰していた神への信頼を失い、愛する人を失って孤独となり、すべての心の拠り所を失ってしまったのかも知れません。なぜ、その人の命が奪われなくてはならず、なぜ、自分だけがこのようなつらい目に遭うのだと神を恨んでいるかも知れません。世の中に神はいないのだ、と嘆くかも知れません。生きて、人を愛することに重大な疑問が投げかけられたのかも知れません。----「こんな苦しい目に遭うのなら、もう二度と人を愛さない」と。「愛しても、いつかは引き裂かれる運命があるのなら、何のための愛だろう」と。
でも、このような強い問いの投げかけが、あなたをより神、そして愛に近づけることになります。あなたは、いま、神について、生について、死について、愛について、今までになく関心を向け、悩み、苦しんでいます。漠然としたそれらの抽象的だった存在が、現実的な課題としてあなたを取り囲んでいます。あなたに生の試練が与えられ、どう行動するかが試されているのです。
やがてあなたは、自分が精神的に成長し、視野が広くなっていることに気づくでしょう。そのとき、あなたは、自分自身で導き出したこれらの答えを持っているはずです。
93.この心の痛みに比べれば
もはやあなたにとって怖いものは、この世の中に何もありません。
やがて訪れる死さえも、もはや恐怖の対象ではないはずです。
病気や怪我の痛みも、その人を喪う心の痛みに比べれば、耐えられないものではありません。失恋も、その人を喪う悲しみに比べたら、どれほどの悲しみでしょう。ふられたところで、その人は相変わらず生きてこの世界にいるのですから。
仕事上の悩みや困難も、その人を喪うつらさに比べれば、ものの数ではありません。
最も辛く苦しい試練を乗り越えたあなたには、どんな困難でもたやすく乗り越えることができます。
あなたはこの悲しみと苦しみの代わりに真の勇気と忍耐力を授かっています。それは、悲しみや苦しみが深ければ深いほど大きく実る、その人からの贈り物です。
もはや、あなたにとって怖いものは、この世に存在しません。
あなたの残りの生を、魂が欲することに費やしてください。
94.死がなければ生はない。別れがなければ愛はない
影があって光があるように、死があって生があるのです。それは1枚のコインの表と裏と同じです。
どちらしかないコインなんて世界中探してもどこにもないのです。
同様に、別れがあって愛があるのです。人を亡くす悲しみがあって、新しい生命の誕生の喜びがあります。こうして人は限られた命の中で、影と光を与えられ、さまざまな彩りがそこに描かれます。
死があって生があり、別れがあって愛があります。
----このような、相対的な価値の世界に私たちは住んでいるのです。
95.再生I
あなたの傷が癒され、それが思い出に変わったとき、あなたは、愛の死とその再生を経験したのです。あなたは、愛の光と影を知りました。
----これからのあなたの愛はより、深いものになるでしょう。これからのあなたの生はより、深いものになるでしょう。あなたは試練を乗り越えました。祝福されたのです。
96.再生II
いまのあなたには、光も影も選択することができます。影を選択すれば、あなたはにとっては、ラクで、もうこれ以上傷つく心配がありません。でも、そこは孤独で寂しくてうらぶれた世界です。
あなたが悲しい理由のひとつは、あなたが愛がほしいからです。光がほしいからです。
勇気を出して、自分に忠実に生きてみませんか?自分の底、魂のレベルから本当にほしいものを見つけてください。
97.償い
償いとは死ぬことではありません。
生きて、直面し、耐えることです。
償いとは他人のためのものではありません。
自分の良心の問題です。
やがて、自分を赦せる(ゆるせる)日が静かに訪れるでしょう。
その時に、光は眩しく、風は穏やかに、花は美しく感じることでしょう。
----嵐は去ったのです。
98.見えなくなっただけ
一日の終わりには太陽の光が弱まり、ついには暗闇にとって変わります。でも、あなたが光の届く範囲から離れただけで、太陽は常に地球に熱と光を降り注いでいます。あなたには一時的に見えなくなっただけです。
あなたの愛する人も、きっとあなたには見えなくなっただけです。目に見えない世界もきっとあります。
99.この世に神なんていないのかもしれません。でもあなたが天使になれます
この世の中に起こる無慈悲で残酷なできごとは一体何なのでしょう。この世に神がいることなんて、でたらめとしか思えないときがあります。なにより、なぜ、あなたの大切な人が死ななければいけなかったのでしょう。この世は無秩序な残酷さだけが満ち溢れているのでしょうか?
そんなときには、神なんてこの世にいないと思ってしまってかまいません。
こんな無慈悲で残酷なできごとが起こる世の中を創った神なんて、要りやしません。
でも、ひとつだけ、あることに気づいてください。あなたのその嘆きこそ、愛と優しさと正義、そのものであることに----。
そして、あなたがこの世の中を少しずつでも変えていくことができることを。死んでしまった人は決して帰りませんが、例えば、あなたが募金する一枚のコインから飢えた子供を救う糧をあがなうことができるのです。貧しい子供達を死なせないで済むのです。その子の母親を泣かせないで済むのです。
----あなたが、この世では天使なのです。
100.秘密のこと
もし、神様がいたとして、死後の世界があったとして、自分も死んだらその人に再会できるのだとします。もし、それが本当だとして、皆がそのことを知っていたら、誰もが進んで死んでしまうのではないでしょうか。もし、あなたが神様だったら、そのことを秘密にして誰もそんなことはしないようにしておかないと、せっかく人の世を創ったのに意味がなくなってしまう、と考えないでしょうか。
(とっておきの秘密ですが)きっと、また逢えます。その人に。きっと。純粋な愛は永遠に不滅です。
----ただし、あなたがこの悲しみをちゃんと乗り越えて、しっかりとこの世を生きたら、ですが。