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殺処分を続ける現実に追いつめられ自殺した台湾の女性。動物を苦しめたら人間も苦しむ。【追跡!ペットビジネスの闇~NHK クローズアップ現代】動物実験や動物園など、、その他の犠牲についても直視してください。 #かわいそうなゾウ
昨夜放送された、NHKのペットビジネスの闇を伝える報道が素晴らしかった件。
志村どうぶつ園など、
志村どうぶつ園で殺処分(保健所)問題が報道され大反響。
「ペットショップではなく保健所へ行こう!」がこれからの常識に。
http://amour918.blog.fc2.com/blog-entry-1697.html
殺処分されている犬や猫たちの苦しみを伝える番組が増えてきています。
数年前は想像できなかった光景が、今ここにある。
声なき者達のために行動を起こしてきた人達。
その1歩1歩が未来を変えられることを証明しています。
番組では、動物達の犠牲を減らしていくための第1歩。
「現実から目を背けないこと」の重要性が伝えられていて久々にまともな報道を見た気がしました。
残酷な事から目を背けても残酷な事はなくならない。
業界の利益を優先し隠蔽体質だった日本のメディアの在り方が変わってきている事を感じられた内容でした。
以下のリンク先から詳しい内容をご確認頂けます↓↓↓
5/26放送!!!
『追跡!ペットビジネスの闇 | NHK クローズアップ現代
“ネコノミクス”という言葉も生まれるほど、空前の猫ブームに沸く日本。
犬猫だけで推計2000万匹が飼育されているペット社会の裏側で、
“引き取り屋”と呼ばれるビジネスが横行していることが明らかになってきた。
ペットショップなど、流通過程であまったペットを有料で引き取り、劣悪な環境で飼い殺している業者も少なくないと言う。
番組では“引き取り屋”の告発に乗り出した動物愛護団体に密着。ペットの大量生産大量消費のひずみをみつめる。』
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3811/1.html
動画をUPしてくださってる方がいます。見逃した方、現実をまだ知らない方は是非ご覧ください。
この放送を終えた後、クローズアップ現代が今後の番組作りの参考にと皆様の意見を求めています。
命を守りたい皆様は是非意見を送ってください。
私はこのような意見(感想)を送らせて頂きました。
森さんのこの発言は素晴しかったですよね。
森さん:メディアがまず、どんどん報道することですね。
たぶん苦情もきます。
でも、いいんです、どんどん報道してください。
それをみんなが知ることです。
そこから始まります。
この発言をされている森達也さんは、
動物実験ドキュメンタリー「1999年のよだかの星」を作成された方です。
まだご覧になられてない方は、是非この機会にご覧ください。
この日本で動物の扱いを変える為に命がけで戦ってこられた今はなきALIVEの野上さんが昔活動されている様子もご覧いただけます。
保健所に持ち込まれた動物達、
動物園で余った猿も動物実験施設に送りこまれていた現実がある。
それに抗議する人たちがいなければ変わらなかった現実がある。
そして未だに日本は動物実験やりたい放題の現実。
昨日象のはな子が亡くなったニュースがありましたが、
動物園がろくな施設ではない事にまだ気づけない人がいる事が驚きです。
「井の頭公園の象はな子が亡くなった、必要なのは二度と象を閉じ込めないこと」
http://www.arcj.org/animals/zoo/00/id=893
殺人ゾウと呼ばれ、コンクリートの監獄に閉じ込められた。
61年後、この象の姿に胸が締め付けられた。
http://www.imishin.jp/hanako-the-elephant/

こちらは森達也さんが記事を書かれている「リアル共同幻想論」で2010年に書かれた記事のひとつです。
是非こちらも読んでください。
犬猫30万匹を“安楽死”させる僕たちの民意
http://diamond.jp/articles/-/5865
【第31回】 2010年1月27日
つい先日、西日本の地方都市に講演で呼ばれた。終了後に控え室で、主催団体のスタッフや関係者たちと談笑していたら、扉が小さくノックされた。
スタッフが扉を開ければ、30代前半という感じの女性が、もじもじとした様子で立っていた。「森さんにお話ですか?」と訊かれた彼女は「はい」と頷くのだけど、なかなかその用件を口にしようとしない。大勢がいるところでは話しづらい内容なのかもしれない。察したスタッフや関係者たちは、「じゃあしばらくロビーにいます」と中座してくれた。
「お疲れなのに申し訳ありません。私はこの地の動物愛護センターに去年から勤めています」
そう言ってから彼女は、名刺を差し出した。肩書きには獣医の記載がある。
「森さんは、動物愛護センターはご存じですか」
かれて僕は頷いた。要するにかつての保健所だ。飼い主のいない犬や猫の里親を探したり処分したりするところ。
「……私は動物が好きで獣医になったんです」
彼女は言った。
「でも今の自分の仕事は、動物の怪我や病気を治すことではありません。犬や猫を殺すことです」
僕はもう一度頷いた。かつてテレビ・ディレクター時代、動物実験をテーマにしたドキュメンタリーを作ったことがある。タイトルは『1999年のよだかの星』。だから動物実験の現状や問題点については、ある程度は知っているつもりだ。動物愛護センターそのものへの取材や撮影はしていないけれど、犬や猫たちの悲惨な現状については、取材中に何度も耳にした。資料も読んだ。日本全国で1日あたり、ほぼ1000匹の犬や猫が、愛護センターで殺処分されていることも知っている。
『1999年のよだかの星』を作り終えた2年後、東京都内の食肉市場である芝浦と場のドキュメンタリーを企画した僕は、と場に何度も通い、牛や豚のと畜現場も何度も見た(書きながら苛々している。なぜなら今使っている日本語かな漢字変換ソフトのMS―IMEもATOKも、「と場」や「と畜」をどうしても変換しようとしないからだ)。
と場を舞台にしたテレビ・ドキュメンタリーは結局成就しなかったけれど、このときの取材はこの2年後に、『いのちの食べかた』というタイトルの本を執筆するきっかけになった。
この秋に公開されたドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と』は、ペットとして飼われた犬や猫たちの命と人間のエゴをテーマにした作品だ。公開前に試写を観て、僕はパンフレットにコメントを提供した。
「人は進化した。繁栄した。この地球上における生きもののヒエラルキーの最上位にいて、あらゆる自然を加工した。他の生きものを利用した。
特に犬と猫。この2つの種は人の愛玩動物となった。
でもこの映画を観ながら、あらためて考えた。実感した。彼らが感情を持つことを、悲しみや喜びや怒りを抱くことを、そろそろ(愛護センターなどの言い換えはやめて)この社会は正面から認めなくてはならないと。」
……書き写して(我ながら)思うけれど、何となく偉そうだ。何様のつもりなのだろうと小声でつぶやきたくなる。
とにかく愛護センターそのものの取材はしていないけれど、その事情や問題点は、それなりにわかっているつもりだった。だから彼女の訴えに対しても、そうでしょうねというように僕は軽く頷いていた。思い詰めた表情で彼女は言った。
「安易な殺処分をやめさせたい。でも現状でそれが難しいのなら、せめてもっと安楽に死なせてやるべきです」
「……でもほとんどの愛護センターは、殺処分に炭酸ガスを使っているはずだから、一応は安楽死ですよね?」
僕は言った。数秒の間が空いた。しばらく僕を見つめてから、彼女は言った。
「……森さん、炭酸ガスって何だかご存知ですよね」
「二酸化炭素」
「そうです。つまり炭酸ガスで殺すということは、呼吸障害で死ぬということです。想像してください。それで安楽に死ねると思いますか」
僕は押し黙った。何と返答すればいいのかわからなかったのだ。東京都の動物愛護相談センターのサイトは、以下の文章から始まっている。
動物愛護センターは、「狂犬病予防法」「動物の愛護及び管理に関する法律」「東京都動物の愛護及び管理に関する条例」「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」「化製場等に関する法律」などにもとづいた仕事を行うために設けられた施設です。
動物愛護精神と適正飼養の普及啓発、動物の保護と管理、人と動物との共通感染症の予防・調査等を柱としており、人と動物が共生できる街づくりを目指しています。
人と動物が共生できる街づくりをめざすセンターは、犬や猫を殺処分する場合には、収容期間を過ぎても飼い主が見つからないケースや、里親が見つからなかったケースなどに限定している。
また法律でも、殺処分の場合には、できる限り苦痛を与えない方法で行われねばならないと定められている。
○動物の愛護及び管理に関する法律
第40条 動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によってしなければならない。
○動物の殺処分方法に関する指針
第一 一般原則管理者及び殺処分実施者は、動物を殺処分しなければならない場合にあっては、殺処分動物の生理、生態、習性等を理解し、生命の尊厳性を尊重することを理念として、その動物に苦痛を与えない方法によるよう努めるとともに、殺処分動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害及び人の生活環境の汚損を防止するよう努めること。
第三 殺処分動物の殺処分方法は、化学的又は物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法によるほか、社会的に容認されている通常の方法によること。
これらの法律については知っていた。だから何となく、犬や猫たちは苦痛を感じないように処分されているとばかり思いこんでいた。炭酸ガスによって意識喪失の状態を経てから、絶命するとばかり思っていた。
でも彼女に指摘されて考えた。確かに炭酸ガスで死ぬということは、酸欠に陥って死ぬということだ。どの程度苦しむかは、鼻と口をビニール袋で押さえて、自分で試してみればいい。
「……言われて気づきました。確かに安楽死のはずがない」
そう言う僕に、彼女は静かに言った。
「この国の人は、ほとんどがそう思っています。そのように広報する自治体も確かにあるし、愛護センターのような名称が、安楽死のイメージを広めているのかもしれません」
そう言ってから彼女は、薄い唇を噛み締めながら沈黙した。身体の奥底から湧き上がる何かを必死に押さえようとしているようにも見えたし、湧き上がる感情をどうやって言葉にしようかと苦悩しているようにも見えた。
「……私も含めて職員の多くは、動物が好きでこの仕事を始めました。だから現場の職員は毎日が辛いです。何とかしてほしいと思っています。現状で北海道と新潟と福岡は、麻酔薬や筋弛緩剤を大量に投与して殺しています。これなら少なくとも、絶命する前に意識喪失はするはずです。残りはすべて炭酸ガスです。それと子犬や子猫の場合、酵素に対するヘモグロビンの親和性が高いため、例外的に麻酔薬を投与する自治体はいくつかありますが、ほとんどは炭酸ガスといっていいと思います」
「つまり、日本中の職員たちは辛い思いをしていると?」
「そう思います」
「ではなぜ自治体は、この処分方法を変えないのですか」
「安くすむからです」
そこまで言ってから、彼女はまた押し黙った。肩が小刻みに震えている。泣いているのかもしれない。そんな彼女の様子を眺めながら、僕は自分の思い込みに、改めて呆れていた。ちょっと考えればわかることだ。安楽死のはずがない。でも今まで気づかなかった。考えようとしなかった。思い至らなかった。
かつて炭酸ガスには、麻酔や鎮痛などの作用があるとされた時期があった。高濃度のガスを吸入した場合、1分弱で意識が消失して無痛覚状態になるとの説もある。ただしこの場合の濃度設定はかなり微妙だ。数%の違いで状態はまったく変わる。
絞首されても人は簡単には死なない
「……私たちは、毎日見ています」
彼女は言った。とても小さな声で。僕は訊いた。やっぱり小さな声で。
「犬や猫は、実際に苦しんでいますか」
「とても」
言ってから彼女は立ち上がった。
「この状況を変えたいと毎日思っています。何ができるのだろうと考えています。だから今日は、森さんに会いに来ました。お話を聞いてもらえただけでも嬉しいです」
そう言い残して、彼女は部屋の外に出た。その後ろ姿をぼんやりと見送りながら、僕は死刑制度について考えていた。
近代国家で死刑制度を今も存置するのは、日本とアメリカの2つだけだとよく言われる。でもこの2つの国には、とても大きな違いがある。処刑方法だ。
日本の死刑執行の方法は絞首刑だ。かつてアメリカもそうだった。理由は手間がかからず費用も抑えられるからだ。でもやがてアメリカは、処刑方法を電気椅子に変える。なぜなら絞首刑は苦痛を与えているとの説が登場したからだ。
実際には絞首されても人は簡単には死なない。吊されながら10分以上息があることも少なくない。その間に意識を保っているのかどうか、それを確認できた人は誰もいない。この状態から現世に戻ってきた人もいない。だから苦痛については、厳密にはわからない。
でもアメリカの場合は、苦痛を与えている可能性があるとの世論が高まり、処刑方法を電気椅子に変えた。ところがその後、電気椅子も苦痛を与えているとの意見が登場し、多くの州が薬物注射に切り替えた。
現在は、この薬物注射も苦痛を与えているとの理由で、死刑執行を一時停止している州がある。人道的な処刑というそのレトリック自体が、きわめてパラドクシカルでシニカルだとは思うけれど、でも少なくともアメリカは悶えている。悩んでいる。
日本の処刑方法は、明治以降まったく変わっていない。ずっと絞首刑だ。死刑囚たちが感じる苦痛について、悩んだり考えたりする人が、ほとんどいないからだろう。
アメリカの州の多くは処刑の場に、被害者遺族や加害者の家族、メディアなども立ち会わせる。でも日本の法務省は、遺族やメディアを立ち会わせるどころか、処刑についての情報をほとんど公開しない。理由は単純だ。この国の民意が情報公開を望まないからだ。要求しないからだ。
死刑制度も犬猫の殺処分も、多くの人が目を背けるという意味では、位相はきわめて近い。目を背けるから行政は本能的に隠す。隠されているから、効率や予算ばかりが優先される。
その帰結として、殺す側も殺される側も含めて、多くのいのちが苦しんでいる。悶えている。年間約30万匹以上のいのちが、安楽死という共同幻想のもとで断末魔の声をあげながら、殺処分されている。
~転載終了~
先日、台湾の保健所で働いていた簡稚澄さんという31歳の女性が、動物を殺処分している現実の苦しさから自殺されました。
動物可哀相というと、動物だけ特別視するのか?人間は可哀相ではないのか?植物は可哀相ではないのか?
と動物を苦しめる事に反対する人たちに抵抗する頭のおかしい人たちがこの日本には沢山いますが、、
動物を苦しめることは、人間を苦しめている現実にいい加減誰もが気づくべきでしょう。
罪なき全ての者達の魂がどうか安らかでありますように。。。
『台湾・犬の安楽死に耐えかねて自殺、動物保護施設管理者が迎えた悲しい結末。』
http://amba.to/1WivWyG
【台湾】殺処分用の毒で自殺
http://nestofpigeons.web44.net/wordpress/?p=417

「犬の引き取り屋」で生き、死んでいく犬たち
「不幸」の再生産を止めるため、求められる二つの施策(太田匡彦) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ohtamasahiko/20160516-00053862/
志村どうぶつ園など、
志村どうぶつ園で殺処分(保健所)問題が報道され大反響。
「ペットショップではなく保健所へ行こう!」がこれからの常識に。
http://amour918.blog.fc2.com/blog-entry-1697.html
殺処分されている犬や猫たちの苦しみを伝える番組が増えてきています。
数年前は想像できなかった光景が、今ここにある。
声なき者達のために行動を起こしてきた人達。
その1歩1歩が未来を変えられることを証明しています。
番組では、動物達の犠牲を減らしていくための第1歩。
「現実から目を背けないこと」の重要性が伝えられていて久々にまともな報道を見た気がしました。
残酷な事から目を背けても残酷な事はなくならない。
業界の利益を優先し隠蔽体質だった日本のメディアの在り方が変わってきている事を感じられた内容でした。
以下のリンク先から詳しい内容をご確認頂けます↓↓↓
5/26放送!!!
『追跡!ペットビジネスの闇 | NHK クローズアップ現代
“ネコノミクス”という言葉も生まれるほど、空前の猫ブームに沸く日本。
犬猫だけで推計2000万匹が飼育されているペット社会の裏側で、
“引き取り屋”と呼ばれるビジネスが横行していることが明らかになってきた。
ペットショップなど、流通過程であまったペットを有料で引き取り、劣悪な環境で飼い殺している業者も少なくないと言う。
番組では“引き取り屋”の告発に乗り出した動物愛護団体に密着。ペットの大量生産大量消費のひずみをみつめる。』
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3811/1.html
動画をUPしてくださってる方がいます。見逃した方、現実をまだ知らない方は是非ご覧ください。
この放送を終えた後、クローズアップ現代が今後の番組作りの参考にと皆様の意見を求めています。
命を守りたい皆様は是非意見を送ってください。
私はこのような意見(感想)を送らせて頂きました。
@nhk_kurogen 25分と言う短い時間で、ペット産業の闇の部分、日本の犬や猫が置かれている悲惨な状況が的確に伝えられていて久々に素晴らしい報道を見た気がします。日本は殺処分だけでなくその他産業の動物の扱いも悲惨です。今後毛皮や畜産業界の闇の部分も取り上げてほしいです。
— 6/4京都6/12東京★屠殺場閉鎖デモ (@lovepeaceyoutoo) 2016年5月26日
[ペットビジネスの闇]
— NHK「クローズアップ現代+」公式 (@nhk_kurogen) 2016年5月26日
【放送後記・森達也さん】
そもそも動物を飼う行為自体、ジレンマを抱えている。トンカツやステーキは食べるけど牛や豚はどうなのか。カラスならいいの?どこで命の線を引くかは難しいが、矛盾をたまに自覚し、人間本位の身勝手な行為を行うなら責任くらい持たないといけない
森さんのこの発言は素晴しかったですよね。
森さん:メディアがまず、どんどん報道することですね。
たぶん苦情もきます。
でも、いいんです、どんどん報道してください。
それをみんなが知ることです。
そこから始まります。
この発言をされている森達也さんは、
動物実験ドキュメンタリー「1999年のよだかの星」を作成された方です。
まだご覧になられてない方は、是非この機会にご覧ください。
この日本で動物の扱いを変える為に命がけで戦ってこられた今はなきALIVEの野上さんが昔活動されている様子もご覧いただけます。
保健所に持ち込まれた動物達、
動物園で余った猿も動物実験施設に送りこまれていた現実がある。
それに抗議する人たちがいなければ変わらなかった現実がある。
そして未だに日本は動物実験やりたい放題の現実。
昨日象のはな子が亡くなったニュースがありましたが、
動物園がろくな施設ではない事にまだ気づけない人がいる事が驚きです。
「井の頭公園の象はな子が亡くなった、必要なのは二度と象を閉じ込めないこと」
http://www.arcj.org/animals/zoo/00/id=893
殺人ゾウと呼ばれ、コンクリートの監獄に閉じ込められた。
61年後、この象の姿に胸が締め付けられた。
http://www.imishin.jp/hanako-the-elephant/

こちらは森達也さんが記事を書かれている「リアル共同幻想論」で2010年に書かれた記事のひとつです。
是非こちらも読んでください。
犬猫30万匹を“安楽死”させる僕たちの民意
http://diamond.jp/articles/-/5865
【第31回】 2010年1月27日
つい先日、西日本の地方都市に講演で呼ばれた。終了後に控え室で、主催団体のスタッフや関係者たちと談笑していたら、扉が小さくノックされた。
スタッフが扉を開ければ、30代前半という感じの女性が、もじもじとした様子で立っていた。「森さんにお話ですか?」と訊かれた彼女は「はい」と頷くのだけど、なかなかその用件を口にしようとしない。大勢がいるところでは話しづらい内容なのかもしれない。察したスタッフや関係者たちは、「じゃあしばらくロビーにいます」と中座してくれた。
「お疲れなのに申し訳ありません。私はこの地の動物愛護センターに去年から勤めています」
そう言ってから彼女は、名刺を差し出した。肩書きには獣医の記載がある。
「森さんは、動物愛護センターはご存じですか」
かれて僕は頷いた。要するにかつての保健所だ。飼い主のいない犬や猫の里親を探したり処分したりするところ。
「……私は動物が好きで獣医になったんです」
彼女は言った。
「でも今の自分の仕事は、動物の怪我や病気を治すことではありません。犬や猫を殺すことです」
僕はもう一度頷いた。かつてテレビ・ディレクター時代、動物実験をテーマにしたドキュメンタリーを作ったことがある。タイトルは『1999年のよだかの星』。だから動物実験の現状や問題点については、ある程度は知っているつもりだ。動物愛護センターそのものへの取材や撮影はしていないけれど、犬や猫たちの悲惨な現状については、取材中に何度も耳にした。資料も読んだ。日本全国で1日あたり、ほぼ1000匹の犬や猫が、愛護センターで殺処分されていることも知っている。
『1999年のよだかの星』を作り終えた2年後、東京都内の食肉市場である芝浦と場のドキュメンタリーを企画した僕は、と場に何度も通い、牛や豚のと畜現場も何度も見た(書きながら苛々している。なぜなら今使っている日本語かな漢字変換ソフトのMS―IMEもATOKも、「と場」や「と畜」をどうしても変換しようとしないからだ)。
と場を舞台にしたテレビ・ドキュメンタリーは結局成就しなかったけれど、このときの取材はこの2年後に、『いのちの食べかた』というタイトルの本を執筆するきっかけになった。
この秋に公開されたドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と』は、ペットとして飼われた犬や猫たちの命と人間のエゴをテーマにした作品だ。公開前に試写を観て、僕はパンフレットにコメントを提供した。
「人は進化した。繁栄した。この地球上における生きもののヒエラルキーの最上位にいて、あらゆる自然を加工した。他の生きものを利用した。
特に犬と猫。この2つの種は人の愛玩動物となった。
でもこの映画を観ながら、あらためて考えた。実感した。彼らが感情を持つことを、悲しみや喜びや怒りを抱くことを、そろそろ(愛護センターなどの言い換えはやめて)この社会は正面から認めなくてはならないと。」
……書き写して(我ながら)思うけれど、何となく偉そうだ。何様のつもりなのだろうと小声でつぶやきたくなる。
とにかく愛護センターそのものの取材はしていないけれど、その事情や問題点は、それなりにわかっているつもりだった。だから彼女の訴えに対しても、そうでしょうねというように僕は軽く頷いていた。思い詰めた表情で彼女は言った。
「安易な殺処分をやめさせたい。でも現状でそれが難しいのなら、せめてもっと安楽に死なせてやるべきです」
「……でもほとんどの愛護センターは、殺処分に炭酸ガスを使っているはずだから、一応は安楽死ですよね?」
僕は言った。数秒の間が空いた。しばらく僕を見つめてから、彼女は言った。
「……森さん、炭酸ガスって何だかご存知ですよね」
「二酸化炭素」
「そうです。つまり炭酸ガスで殺すということは、呼吸障害で死ぬということです。想像してください。それで安楽に死ねると思いますか」
僕は押し黙った。何と返答すればいいのかわからなかったのだ。東京都の動物愛護相談センターのサイトは、以下の文章から始まっている。
動物愛護センターは、「狂犬病予防法」「動物の愛護及び管理に関する法律」「東京都動物の愛護及び管理に関する条例」「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」「化製場等に関する法律」などにもとづいた仕事を行うために設けられた施設です。
動物愛護精神と適正飼養の普及啓発、動物の保護と管理、人と動物との共通感染症の予防・調査等を柱としており、人と動物が共生できる街づくりを目指しています。
人と動物が共生できる街づくりをめざすセンターは、犬や猫を殺処分する場合には、収容期間を過ぎても飼い主が見つからないケースや、里親が見つからなかったケースなどに限定している。
また法律でも、殺処分の場合には、できる限り苦痛を与えない方法で行われねばならないと定められている。
○動物の愛護及び管理に関する法律
第40条 動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によってしなければならない。
○動物の殺処分方法に関する指針
第一 一般原則管理者及び殺処分実施者は、動物を殺処分しなければならない場合にあっては、殺処分動物の生理、生態、習性等を理解し、生命の尊厳性を尊重することを理念として、その動物に苦痛を与えない方法によるよう努めるとともに、殺処分動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害及び人の生活環境の汚損を防止するよう努めること。
第三 殺処分動物の殺処分方法は、化学的又は物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法によるほか、社会的に容認されている通常の方法によること。
これらの法律については知っていた。だから何となく、犬や猫たちは苦痛を感じないように処分されているとばかり思いこんでいた。炭酸ガスによって意識喪失の状態を経てから、絶命するとばかり思っていた。
でも彼女に指摘されて考えた。確かに炭酸ガスで死ぬということは、酸欠に陥って死ぬということだ。どの程度苦しむかは、鼻と口をビニール袋で押さえて、自分で試してみればいい。
「……言われて気づきました。確かに安楽死のはずがない」
そう言う僕に、彼女は静かに言った。
「この国の人は、ほとんどがそう思っています。そのように広報する自治体も確かにあるし、愛護センターのような名称が、安楽死のイメージを広めているのかもしれません」
そう言ってから彼女は、薄い唇を噛み締めながら沈黙した。身体の奥底から湧き上がる何かを必死に押さえようとしているようにも見えたし、湧き上がる感情をどうやって言葉にしようかと苦悩しているようにも見えた。
「……私も含めて職員の多くは、動物が好きでこの仕事を始めました。だから現場の職員は毎日が辛いです。何とかしてほしいと思っています。現状で北海道と新潟と福岡は、麻酔薬や筋弛緩剤を大量に投与して殺しています。これなら少なくとも、絶命する前に意識喪失はするはずです。残りはすべて炭酸ガスです。それと子犬や子猫の場合、酵素に対するヘモグロビンの親和性が高いため、例外的に麻酔薬を投与する自治体はいくつかありますが、ほとんどは炭酸ガスといっていいと思います」
「つまり、日本中の職員たちは辛い思いをしていると?」
「そう思います」
「ではなぜ自治体は、この処分方法を変えないのですか」
「安くすむからです」
そこまで言ってから、彼女はまた押し黙った。肩が小刻みに震えている。泣いているのかもしれない。そんな彼女の様子を眺めながら、僕は自分の思い込みに、改めて呆れていた。ちょっと考えればわかることだ。安楽死のはずがない。でも今まで気づかなかった。考えようとしなかった。思い至らなかった。
かつて炭酸ガスには、麻酔や鎮痛などの作用があるとされた時期があった。高濃度のガスを吸入した場合、1分弱で意識が消失して無痛覚状態になるとの説もある。ただしこの場合の濃度設定はかなり微妙だ。数%の違いで状態はまったく変わる。
絞首されても人は簡単には死なない
「……私たちは、毎日見ています」
彼女は言った。とても小さな声で。僕は訊いた。やっぱり小さな声で。
「犬や猫は、実際に苦しんでいますか」
「とても」
言ってから彼女は立ち上がった。
「この状況を変えたいと毎日思っています。何ができるのだろうと考えています。だから今日は、森さんに会いに来ました。お話を聞いてもらえただけでも嬉しいです」
そう言い残して、彼女は部屋の外に出た。その後ろ姿をぼんやりと見送りながら、僕は死刑制度について考えていた。
近代国家で死刑制度を今も存置するのは、日本とアメリカの2つだけだとよく言われる。でもこの2つの国には、とても大きな違いがある。処刑方法だ。
日本の死刑執行の方法は絞首刑だ。かつてアメリカもそうだった。理由は手間がかからず費用も抑えられるからだ。でもやがてアメリカは、処刑方法を電気椅子に変える。なぜなら絞首刑は苦痛を与えているとの説が登場したからだ。
実際には絞首されても人は簡単には死なない。吊されながら10分以上息があることも少なくない。その間に意識を保っているのかどうか、それを確認できた人は誰もいない。この状態から現世に戻ってきた人もいない。だから苦痛については、厳密にはわからない。
でもアメリカの場合は、苦痛を与えている可能性があるとの世論が高まり、処刑方法を電気椅子に変えた。ところがその後、電気椅子も苦痛を与えているとの意見が登場し、多くの州が薬物注射に切り替えた。
現在は、この薬物注射も苦痛を与えているとの理由で、死刑執行を一時停止している州がある。人道的な処刑というそのレトリック自体が、きわめてパラドクシカルでシニカルだとは思うけれど、でも少なくともアメリカは悶えている。悩んでいる。
日本の処刑方法は、明治以降まったく変わっていない。ずっと絞首刑だ。死刑囚たちが感じる苦痛について、悩んだり考えたりする人が、ほとんどいないからだろう。
アメリカの州の多くは処刑の場に、被害者遺族や加害者の家族、メディアなども立ち会わせる。でも日本の法務省は、遺族やメディアを立ち会わせるどころか、処刑についての情報をほとんど公開しない。理由は単純だ。この国の民意が情報公開を望まないからだ。要求しないからだ。
死刑制度も犬猫の殺処分も、多くの人が目を背けるという意味では、位相はきわめて近い。目を背けるから行政は本能的に隠す。隠されているから、効率や予算ばかりが優先される。
その帰結として、殺す側も殺される側も含めて、多くのいのちが苦しんでいる。悶えている。年間約30万匹以上のいのちが、安楽死という共同幻想のもとで断末魔の声をあげながら、殺処分されている。
~転載終了~
先日、台湾の保健所で働いていた簡稚澄さんという31歳の女性が、動物を殺処分している現実の苦しさから自殺されました。
動物可哀相というと、動物だけ特別視するのか?人間は可哀相ではないのか?植物は可哀相ではないのか?
と動物を苦しめる事に反対する人たちに抵抗する頭のおかしい人たちがこの日本には沢山いますが、、
動物を苦しめることは、人間を苦しめている現実にいい加減誰もが気づくべきでしょう。
罪なき全ての者達の魂がどうか安らかでありますように。。。
『台湾・犬の安楽死に耐えかねて自殺、動物保護施設管理者が迎えた悲しい結末。』
http://amba.to/1WivWyG
【台湾】殺処分用の毒で自殺
http://nestofpigeons.web44.net/wordpress/?p=417

「犬の引き取り屋」で生き、死んでいく犬たち
「不幸」の再生産を止めるため、求められる二つの施策(太田匡彦) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ohtamasahiko/20160516-00053862/
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