苦しみ続ける動物達の為に◆さっち~のブログ◆

動物達の真実から目を背けさせようと圧力をかけられアメブロを強制退会させられFC2に引っ越してきました。そうやって動物達の苦しみはなかった事にされ続けてきたのです。消しても隠せない位に動物達の叫びを共に伝えてほしい。広めてほしい。

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イルカを獲る側から守る側へ。「イルカが可哀相という気持ちでいっぱいだった…」 #イルカ漁師を止めた理由 12月19日(土)東京渋谷で、元イルカ漁師の石井さんによる講演会があります☆参加者募集  

「イルカが可哀相・・・」
イルカ漁師を続けながら生活の為だから仕方がないと自分の気持ちを押し殺していた石井さんは、その気持ちに正直になる選択をされイルカ漁師を止めてイルカウォッチング業に転身されました。
イルカを獲る側から守る側へ。
そんな石井さんの講演会が12月19日、東京で開催されます。
facebookの一部で、このイベント情報が表示されなくなるなど、イルカ漁推進派による圧力がかかっているようです。
イルカ達の代わりに声をあげる石井さんの声が消されてしまわないように、転載します。

元イルカ漁師 石井泉さんが語る
「日本のイルカ猟を知ろう!」

https://www.facebook.com/events/1658964887713063/

石井泉さんが体験した海とイルカたちの話です。

イルカ猟からイルカウォッチングに転身した
石井泉氏 略歴

「光海丸」船長 : 石井泉(いしい・いずみ)

1948年11月18日生まれ。静岡県伊東市富戸生まれ。石井家6代目の漁師。イルカ漁師としては3代目。今も現役の『一本釣り漁師』
生後すぐから小学校1年生まで鎌倉で暮らし、富戸に戻る。高校卒業後、鎌倉で鉄工所に就職するが、一本釣りの漁師になりたくて富戸に戻ってくる。イルカ漁が認可されていた富戸港では、毎年シーズンの9月~3月はイルカ漁を行っていた。

子どもの頃から地元でイルカ漁を見ていたのと、祖父の代からイルカ漁をしていた家系のため、自分もイルカ漁を継ぐことは当然だと考え、イルカ漁師になる。イルカの探索船乗り、先頭を切って漁をしていた。
96年の富戸で捕獲枠オーバーのイルカ漁が発覚したことを受けて、97年、イルカ漁師をやめる決意をする。それまでは、“イルカが可哀想だが、生活のためと”と心の中で手を合わせていたが、「この事件をきっかけに感情が溢れだして何もかも変わった」と振り返る。後になって、実はお祖父さんも、イルカを殺すことを可哀想だと思っていたことを知る。

その後、釣り船とイルカウォッチングに転身。180度逆の選択をしたことで話題を呼ぶ。初ウォッチングは2002年9月25日に行われた。
イルカウォッチングは一年中行っている。シーズンによるが、バンドウイルカ、カマイルカ、ハナゴンドウ、マッコウクジラなどを見ることができる。
イルカが子育ての時期にはむやみに船を近づけない。執拗に追い掛け回さないなど、海と自然の生き物に敬意を持ったウォッチングの方針を貫いている。

「光海丸」イルカウォッチングご予約&お問い合わせ
https://sv361.xserver.jp/~tes-sev/kohkaimaru.com/?tour_application&l=1

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■日時:2015年12月19日(土)13:30~16:30
■場所:渋谷 勤労福祉会館 2F
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kinro.html
東京都渋谷区神南 1-19-8 (郵便番号:150-0041)
電話:03-3462-2511
■アクセス:JR・地下鉄・井の頭線 渋谷駅 徒歩7分
■参加費:500円
■参加方法:席に限りがあるため、Facebookメッセージまたはメールにて事前予約が必要です。
■申し込み先:Facebookメッセージ(主催者:八木八千代宛)または E-mail:yachiyo882002@ybb.ne.jp(八木まで)

当日、石井さんのほうでグッズを販売予定しています。

~以下は石井さんのFacebookより(9月27日投稿分)~
https://www.facebook.com/izumi.ishii.39/posts/895798590500396

私はイルカ捕獲はあくまでも反対です。
そのことを前提に事実を書こう。
私が漁師としてイルカ捕獲を止めた理由から書かなくてはならないだろう。
子供の頃からイルカを食べ、そして殺し、漁師になってからもそれはごく自然に続いた。
一方で、子供の頃から、イルカの殺される場面は数限りなく見てきた。それが地元の富戸では当たり前の光景だ。
しかし・・・
いつの時でも『かわいそうだという気持ちでいっぱいだった。
漁師になりイルカを殺すときにはいつも決まって、手を合わせお祈りしてからの作業になっていた。
そのようなことでも、生計のごく一部ではあったが稼ぎに出た。
そのようなときに96年におこなわれた、漁(漁師だからこの字を使います)で捕ってはいけないクジラと獲り過ぎてはいけないイルカを捕獲してしまった。
私は、『海にいるイルカを獲るのがなぜ悪いのだ』と報道陣の取材に言い放った。哺乳類のイルカでさえ、海にいるから『魚』の認識しかなかったわけだ。
私はイルカを殺す最前線にいた。
その時の漁は明らかに捕獲違反であることがおよそ半年以上たってから知らされた。
それは、捕獲頭数の数が決められていたのだった。
いわゆる、『捕獲枠』というのがあり、
しかしそれは組合の上層部だけしか知らなかったのである。
要するに、末端の私たちには知らされなかったのだ。
そのことが分かった以上、キチンと襟を正し、
捕獲枠を守っていけばやがて資源が回復をしたときには、捕獲枠が増えるだろうと思った。
だから、漁業組合に捕獲しすぎたことを明白にし
襟を正すべきという私の意見書を組合と組合員に出した。
しかし、組合は絶対に捕獲違反をしたということを認めず、
静岡県の水産課、国の水産庁も私の意見や証言を無視し、組合が否定することだけを信じていた。(知っていたはずだが)
当時のイルカ捕獲の最高責任者だったH氏が、
『石井の言っていることは本当だ』ということさえも、いとも簡単に否定された。
それだけでなく、漁協と私以外のほとんどの漁師が、私の指摘したことに対する弾劾の会議が開らかれた。
この会議の名称は・・・『青年部』。
青年部という部を急遽作り私一人に対する当時およそ50人位の正組合員が出席して行われた。
会議が始まる前に、私は確認をしたことがある。
それは・・・
急遽作りあがられた『青年部』に対し、
部というからには部の長がいるはずだ。
それは誰なのかを確認したいという私の問いかけに、
それは『有志』だと、ひな壇にいた若者が答えた。
そんな馬鹿な事は無いだろう・・はっきりさせろ!!
という私のたたみかける質問に議長役の若者が手に持っている資料がブルブル震えるのを私は見逃さなかった。
部の長の名前を言わないのなら、この会合のあらゆる責任は議長役の人にとってもらうとたたみかけた。
そして始まった。
違反は無かったことにするようにと、執拗な意見が出された。
『この富戸に住めないようにしろ』、『追い出せ』、『船を港から追い出せ』、『組合員の資格を剥奪しろ』、『もしこれまでの捕獲枠がなくなったら石井に責任を取ってもらえ』、当時の支所長でさえ、『反省を促す』、『死活問題だ』、等々のひどい言葉だった。
さらにひどいのは、イルカ捕獲の時には捕獲参加していなかった組合員ではなかった若者数名がその会合に参加していたことだった。
それらの若者はダイビングの仕事で富戸以外からきて、ダイビングの仕事を止めて、定置網の従事者として組合員になったばかりだった。
そのような人も入り込んでの会合だった。
その中で私はただただ腕組みをし、いわゆる言葉の攻撃に耐えるしかなかった。
だが・・・
「俺の言うことが間違っているのだったら裁判をしろ、告訴しろ!」
という一喝に誰もが返答しなかった。
そしてその後は誰も意見を言わなくなった。
そりゃぁそうだろう。
裁判をすれば組合側が恥をさらすだけなのだから。
私から裁判を仕掛けるには費用の点で出来るはずもなかった。
静岡県の水産課の職員とのやり取り、富戸支所の理事とのやり取りなどは、すべてテープに録音をして、証拠として警察に提出してある。
海上保安庁下田保安部からも電話があり、事情を聴きたいからと出頭依頼があり、朝8時過ぎに出向き、事情説明をしたのち、午後からは捕獲違反について『石井さん貴方も被疑者として取り調べます』という係官に、
「当然です、私だけ良い子になるつもりはありません」と返事をした。
それから、およそ午後7時くらいまで調べがあった。
私は何の苦痛も感じず、むしろ私の言いたいことを公の場所で発言できたことをとても嬉しく感じた。
その後にもイルカ問題が尾を引いていて、私は当時のイルカ捕獲最高責任者と共に漁協の本所に出向き、組合長と組合専務理事と4人で別な内容のことで懇談していた時、イルカ捕獲問題の話題になり、その場でかなりの議論になった。
当初、クジラは獲っていないと言い張った組合側が2頭だけ、おかずにするために獲ったということになっていたが、
保護団体が撮影したビデオに5頭殺している場面から、捕獲を認めた当初の2頭ではないことに、それを調べるために水産課の職員が偶然、漁協本所の別室に来ていた。
私の主張するのはクジラは26頭だということだったが、どうしても認める事は無かった。
それはそうだろう。県職員の調べにより、当初全く獲っていなかったという組合側の答えが2頭捕獲に訂正され、それが新たに5頭に訂正されようとしている時に、私から26頭だという根拠(売上伝票のコピー)も添えて提出されたから
県職員も自らの調査に間違いがあったことを認めたくなかったのだろう。(調査不足という重大なミス)
その時とても印象深く残っているのは、組合長が半ば逆切れをして、
『それならば隣の部屋に県の職員が来ているからそのことを言いに行け』と私に言い放った。
そこで私は、「俺からその部屋に入ると、のちに部屋になだれ込んできたと言われかねないから、組合長あなたが県の職員をここへ連れてこい」と反論すると黙りこくってしまった。
そのあくる日に、県の水産課の担当者に電話をして事情を話した。担当したのはS氏という女性だった。
その電話の会話の中にも、かなりの数の違反があるということを調べた結果わかったという言葉があった。
それもテープで録音した。
また、海上保安部のB氏から電話があり、
『まことに申し訳ありませんが保安部としてはこれ以上追及が出来ません、その理由は罰則規定が無いからです』
しかしその翌年、罰則規定が出来た。
また、それと同じくして、
富戸の監事役から、富戸で捕ったクジラは他県の捕獲枠を
富戸に適用したから全く問題が無いというものだった。
他県の捕獲枠を伊東漁協富戸支所に適用すること自体個人では出来ないことは明白で、県などの公の組織が行わなければできないことで、違反を公に公表することなく、静岡県と他県の交渉で決まったことだと推測できる。
それならば初めからそのようなことにすればいいものを、馬鹿な役人どもだといまだに思うことである。
もう昔の事であるが、これを読んだ公人たちが騒いだり反論したりすればそれはそれで面白いことになるのだが。
その当時の人々がいるのかどうかさえ分からない。
私はそのような事件があったということの証拠は、新聞記事を保管してあるからまぎれもない事実である。
そのころ私は、『一本釣り船主会』の会長をしていたが、
私の意見や弁解を聞かずに一方的に解任をさせられてしまった。
ある早朝、6時くらいだったが、T丸、I丸の二人の使者が我が家の玄関前で大声で
『一本釣りの会長を解任したことを報告します』
それからというものは・・
もう、イルカ捕獲漁には何ら未練はなく、
封建制の強いことに対する『向かっていく』気持ちだけが強くなった時でもあった。
それで、
子供の頃から『かわいそうと』いう気持ちが増幅され私の胸の中にしまい込んでおくことが出来なくなったことから、
イルカ漁から身を引いたのだった。
2002年5月、山口県下関市で行われたIWCの総会会場のプレスルームで今までのことを通訳を交えて話し、イルカ捕獲からイルカウオッチングに転換するということを世界に発信した。
そして2002年9月25日に第一回のイルカ・ウオッチングが行われた。
この日は報道陣が沢山集まってくれて、唯一私に賛同してくれた船と2隻でイルカ・クジラウオッチングをすることが出来た。
アメリカ、イギリス、オーストラリアのお客様方だった。
そして、劇的なマッコウクジラに出会うことが出来たのである。
イルカウ・クジラウオッチングをすることで、自然のイルカ達を見たお客様が、捕獲をすることに可哀想だと気付いてくれることを願った。
昨年、3月と9月に太地に行った。
太地はとてもきれいで静かそうな港町であった。
しかし、イルカ捕獲が頻繁に行われている港町でもあった。
そのようなときに私は太地町の町役場に行くことが出来た。
そして、イルカ捕獲が無くなればいいという気持ちを持って訪れた。
私の背後には和歌山県警の警察官がビデオを撮っている前で、対応してくれた職員の方に私の気持ちを訴えた。
職員の方々は私の訴えることを静かに聞いてくれた。
「私は、残念であるがイルカ捕獲漁はすぐには無くなるとは思っていない。なぜならば、公の機関が捕獲枠を与えているかぎり、それに従って、違反操業さえしなければ、彼らの行ってこることは正しい事で当然のことである。」
この言葉に彼らは妙な顔つきをしたように見えた。
ただし・・・
「合法的なこととはいえ、それに対する反対の行動も自由です。」
民主主義の時代。
捕獲するも、反対するのも自由の国なのだから。
別なことだが、今まさに国が決めたことに対する反対運動をしても法律違反にはならないことは周知のとおりである。
(あくまでも法律違反しない範囲でのデモなどだ)
要するに、法律にのっとって行っている行為だからと言って、反対をしないという消極的ではならないと思っている。
法律がすべてにおいて完璧に正しいとは限らないのだから、反対も正しい行動なのである。
物事をあきらめないことが法やその他の決め事をより一層に使いやすく理解できるようなことに改められることもある。
最悪なのは諦めや絶望である。それぞれの意思表示をすることこそ、民主主義国家の国民の特権でもあろう。
だがしかし、、、
法律や許可などにおいていわゆる合法的に行動している
(この文章の中ではイルカ捕獲問題なのだが)
反対をすることを決して職業にしてはならないということである。
合法的なことの反対を職業とすることは人道上絶対に慎むべきである。
一部の反対者や団体にこのようなことがあるように思えるが。
だが、一部の人に自分の意見を反映せてもらうことは可能だと思う。
それぞれの国々からわざわざ来ることが出来ない人々のために、代表でお願いをすることも有効なことで、法律違反ではないだろう。
すなわち、代表者に寄付をすることで自分の意見を代弁してもらう方法である。
寄付行為を受けること自体法律違反ではない。
その最たることは、政治家が寄付を受けることだろう。
彼らは各々の国民の意見の代弁を政治家に資金の寄付をすることによってなされているのだから。
だから、イルカ捕獲に反対しても当然なのである。
私はイルカ捕獲反対を扇動しているのではない。
反対することも意見なのだ。
私の願いはもちろんイルカ捕獲反対なのである。
いま伊豆半島はジオパークに認定されている。
更に世界ジオパークに申請している。
(2015年9月19日時点では、世界の認定は保留となっている)
『海に中までジオパーク』というキャッチフレーズが伊豆半島中で語られている。
いとう漁協富戸支所では2005年に捕獲して以来10年間イルカ捕獲は出来なかった。
だが、いまだに捕獲を続けようとしている。
その行為や考えは正しいと思っている。
なぜならば違反をしなければ捕獲はしても良い筈だから。
もっとも過去十年間イルカ捕獲をしなかったということは
10年間の捕獲枠数の累計で莫大な数のイルカ達の命が救われたということも事実なのである。
もしも富戸支所がイルカ捕獲を止めたとしたならば、その捕獲枠は他所に移ることも考えられ、他所でイルカ達の命が奪われることになるかもしれないからだ。
だから、イルカ捕獲を言い続けることは結果論だが、イルカの命を救っていることにもなるわけだ。
一方的な言い方なのだが、捕獲枠を保持するということは
『必要悪』なのだと思うのだ。
(本当の悪という意味ではなく世間で使われている例えとしての言葉である)
しかし、
お客様が伊豆半島に来たときに、捕獲枠があることでもしも海がイルカの血で赤く染まったらどのような印象を与えるかは簡単に想像できる。
そのことを止めさせたいのだ。
イルカウオッチングの良さとして、
『獲る漁業から見る漁業への転換』
観光地の伊豆には、ウオッチングに来たお客様が伊豆に落とすお金は、イルカ捕獲よりもやがて大きくなるだろう。
今は私一人だけだが、やがて伊豆全体でウオッチングが行われれば莫大な金額なのだろう。
いまや、イルカ捕獲を見に来る観光客は皆無だろうと思っている。
捕獲に対する経済効果は漁協の売り上げだけだろう。
だか、ウオッチングなどは、お客様が地元に落としていくお金は計り知れないだろう。
あきらめずに根気強く静かな反対運動をしていけば少なからずや捕獲枠そのものが減少していくと思われる。
どう見ても、イルカを食べる人などは増える事は無いだろう。
私は夢を沢山持っている。
その一つは伊豆半島の何処の港からでもウオッチングの船が出ることを願うのである。
私の絶対的な目的は111歳まで健康で生き抜く事である。
その年齢になるまでのいつの日にかイルカ捕獲が無くなって、風光明媚な伊豆半島を海から眺めながら、イルカ達を探す楽しみである。
いいではないか、もしイルカ達が居なくてもイルカ達が回遊するときにイルカ達も泳ぎながら見る伊豆半島の美しさを堪能すれば。
私は67歳。
あと残された寿命はたったの44年である。
急がなくては・・・

~転載終了~

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