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もう家畜と呼ばないでね。一緒に起こそうね。生きてるから。「奇跡」
ガガを見てると、屠殺場見学に行った時のあの子を思い出す。
原発事故が起こり、初めて自分の足で歩いたよ。
自分の足で歩くというのは、自分の意思で歩くということ。
生まれて初めて手に入れた自由。
生きるってこんなに気持ちがいいんだね。
ずっとこのままでいてもいいの?
(写真は福島原発被害の動物たちより)


この世に家畜ではなくなった牛がいる。
原発事故と引き換えに手に入れた命。
なんと悲しいことなのか。
生きる事そのものを奪われるために生まれてくる家畜という名の動物達。
なんと嬉しいことなのか。
この子達は、いま生きている。
もう家畜と呼ばれなくていい。
~うちのとらまる もうーすさんより以下転載~
「奇跡」
http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-11519873556.html
2013-04-28
奇跡ってあるのですね
偶然が重なり それが奇跡になる
そう思うと
今 いたるところで奇跡は起こっているのですね
ガガ と名づけられた牛
さまざまな障害を乗り越えて
生き残った牛 ガガ
ガガ がいたところは希望の牧場近くの牛舎
そこはメスならば乳牛となる ホルスタイン種のオス牛の牛舎でした
当然オス牛は搾乳も出来ませんので お肉になる運命
ガガは肉牛として出荷されるのを待っている牛でした

2011年5月1日 S牧場牛舎にて
しかし東日本大震災が起き
福島第一原発が爆発
飼い主は世話をしに行くこともできずに放置されることになります
私が初めてガガに会ったのは 2011年4月9日
もうすぐ震災から1ヶ月が経とうとしていました
飼い主さんがありったけの餌を置いたものもすでに食べつくし
水もない中 何とか生きていたガガたち
私が牛舎を訪れた時には すでに3分の1が死んでいた頃でした

同じく5月1日 S牧場牛舎にて
誰かによって柵を開放され
外に出ることは出来ましたが
それでも訪れるたびに数が減っていく牛たち
そんな中で ガガはなんとか生き延びていたのでしょう
同じ頃 この牛舎の近くにあるM牧場の牛たちが
停電した電気柵を抜け いたるところに集団で生きていました
きっとガガはこの集団に紛れ込み
一緒に生きていたのだと思われます
牛舎近くに残ったものはすべて死に
ガガと一緒にM牧場の牛たちと合流した数頭は (3頭は確認)
その後 吉沢代表が希望の牧場として飼養を再開するまで生き延びたのです
しかし 希望の牧場の牛たちは黒毛和牛で数も圧倒しています
種類の違うホルスタインたちは どうしても食い負けしてしまうのです
人間が気にかけてやりたくても 数人での牛の世話は限界があります
ガガの仲間だった牛たちは やがて事故も含めすべて死んでしまい
ガガは独りぼっちになりました

2011年7月17日 希望の牧場にて
そうして運良く (もちろんガガが必死で生きてきたのでしょうけど) 生き残ったガガ
「彼」 は頑張りました
吉沢代表は そういう苦労をしてきたガガを大事にしておられ
ガガも吉沢代表を本当に慕っています





ガガは生きています
絶望的な窮地を脱し生き残ったのです
ところで
私には常々疑問があって
昨日牧場を訪問したときに吉沢代表に思い切って聞いてみました
オスなのに 何故に ガガ?
吉沢代表の答えに私は驚きました
「ガガはメスだよ」
そんな馬鹿な あそこの牛たちはすべてオスのはず
メスならば乳牛じゃないですか との私の問いに
吉沢代表は丁寧に説明してくださいました
異性双子の場合
メスの方は繁殖能力がなくなることが多いので
オス牛として扱われたのだろう と
(調べたらガガのような牛はフリーマーチンと云うそうです)
そうか
繁殖能力がないとなると妊娠がない
イコールお乳も出ないということか
そうだったのか
数奇な運命を経て生き残ってきたガガ
「彼女」 は吉沢代表のおかげで命を繋いでいます
そしてもちろん応援するサポーターの方々のおかげで生き残っているのです

2013年4月27日現在 ガガは生きています
ガガは自分の手で幸せを掴みました
~転載終了~
ガガは伝えるために生きていると思う。
仲間達の笑顔がもっと増えますようにと。
私達全員、ガガとおんなじ命。
5/25(土) 神戸
◆☆モ~飲ませたくない!牛乳にさよならだ!5.25デモ in 神戸☆◆
原発事故が起こり、初めて自分の足で歩いたよ。
自分の足で歩くというのは、自分の意思で歩くということ。
生まれて初めて手に入れた自由。
生きるってこんなに気持ちがいいんだね。
ずっとこのままでいてもいいの?
(写真は福島原発被害の動物たちより)


この世に家畜ではなくなった牛がいる。
原発事故と引き換えに手に入れた命。
なんと悲しいことなのか。
生きる事そのものを奪われるために生まれてくる家畜という名の動物達。
なんと嬉しいことなのか。
この子達は、いま生きている。
もう家畜と呼ばれなくていい。
~うちのとらまる もうーすさんより以下転載~
「奇跡」
http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-11519873556.html
2013-04-28
奇跡ってあるのですね
偶然が重なり それが奇跡になる
そう思うと
今 いたるところで奇跡は起こっているのですね
ガガ と名づけられた牛
さまざまな障害を乗り越えて
生き残った牛 ガガ
ガガ がいたところは希望の牧場近くの牛舎
そこはメスならば乳牛となる ホルスタイン種のオス牛の牛舎でした
当然オス牛は搾乳も出来ませんので お肉になる運命
ガガは肉牛として出荷されるのを待っている牛でした

2011年5月1日 S牧場牛舎にて
しかし東日本大震災が起き
福島第一原発が爆発
飼い主は世話をしに行くこともできずに放置されることになります
私が初めてガガに会ったのは 2011年4月9日
もうすぐ震災から1ヶ月が経とうとしていました
飼い主さんがありったけの餌を置いたものもすでに食べつくし
水もない中 何とか生きていたガガたち
私が牛舎を訪れた時には すでに3分の1が死んでいた頃でした

同じく5月1日 S牧場牛舎にて
誰かによって柵を開放され
外に出ることは出来ましたが
それでも訪れるたびに数が減っていく牛たち
そんな中で ガガはなんとか生き延びていたのでしょう
同じ頃 この牛舎の近くにあるM牧場の牛たちが
停電した電気柵を抜け いたるところに集団で生きていました
きっとガガはこの集団に紛れ込み
一緒に生きていたのだと思われます
牛舎近くに残ったものはすべて死に
ガガと一緒にM牧場の牛たちと合流した数頭は (3頭は確認)
その後 吉沢代表が希望の牧場として飼養を再開するまで生き延びたのです
しかし 希望の牧場の牛たちは黒毛和牛で数も圧倒しています
種類の違うホルスタインたちは どうしても食い負けしてしまうのです
人間が気にかけてやりたくても 数人での牛の世話は限界があります
ガガの仲間だった牛たちは やがて事故も含めすべて死んでしまい
ガガは独りぼっちになりました

2011年7月17日 希望の牧場にて
そうして運良く (もちろんガガが必死で生きてきたのでしょうけど) 生き残ったガガ
「彼」 は頑張りました
吉沢代表は そういう苦労をしてきたガガを大事にしておられ
ガガも吉沢代表を本当に慕っています





ガガは生きています
絶望的な窮地を脱し生き残ったのです
ところで
私には常々疑問があって
昨日牧場を訪問したときに吉沢代表に思い切って聞いてみました
オスなのに 何故に ガガ?
吉沢代表の答えに私は驚きました
「ガガはメスだよ」
そんな馬鹿な あそこの牛たちはすべてオスのはず
メスならば乳牛じゃないですか との私の問いに
吉沢代表は丁寧に説明してくださいました
異性双子の場合
メスの方は繁殖能力がなくなることが多いので
オス牛として扱われたのだろう と
(調べたらガガのような牛はフリーマーチンと云うそうです)
そうか
繁殖能力がないとなると妊娠がない
イコールお乳も出ないということか
そうだったのか
数奇な運命を経て生き残ってきたガガ
「彼女」 は吉沢代表のおかげで命を繋いでいます
そしてもちろん応援するサポーターの方々のおかげで生き残っているのです

2013年4月27日現在 ガガは生きています
ガガは自分の手で幸せを掴みました
~転載終了~
ガガは伝えるために生きていると思う。
仲間達の笑顔がもっと増えますようにと。
私達全員、ガガとおんなじ命。

◆☆モ~飲ませたくない!牛乳にさよならだ!5.25デモ in 神戸☆◆
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