苦しみ続ける動物達の為に◆さっち~のブログ◆

動物達の真実から目を背けさせようと圧力をかけられアメブロを強制退会させられFC2に引っ越してきました。そうやって動物達の苦しみはなかった事にされ続けてきたのです。消しても隠せない位に動物達の叫びを共に伝えてほしい。広めてほしい。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

3/2神戸「希望の牧場~ふくしま~」吉沢代表によるギャラリートーク「いのちを感じる つながるいのち」~間もなく3.11から丸2年~ 

あーち博物館「いのちを感じる つながるいのち」
http://www.kobe-u.ac.jp/event/e2013_03_02_03.html


福島原発事故の被害を受けた多くの動物たちが見捨てられ放置されています。戦争の時もそんなことがありました。神戸の諏訪山動物園(王子動物園の前身)の動物たちが、空襲に晒される中、殺されていきました。
今回のあーち博物館では、人間の勝手で殺されていく動物たちの絵や写真を取り上げて、「いのち」を感じる空間を創り出し、「いのち」のつながりに思いを馳せる時間を演出します。
開催概要
kibou_20130225222118.jpg
チラシ (PDF形式)

日時
2013年3月2日 (土) 、5日(火)、7日(木) 10:30~16:30
場所
のびやかスペースあーち
神戸市灘区神ノ木通3-6-18 灘消防署2F
 
ギャラリートーク「希望の牧場」の動物たち
3月2日(土) 14:00~16:00
話し手 吉沢正巳さん(希望の牧場主宰)
 
主催
神戸大学大学院人間発達環境学研究科ヒューマン・コミュニティ創成研究センター
共催
「いのちをつなぐイベントin神戸」実行委員会
後援
神戸市PTA協議会、神戸市教育委員会
協力
社団法人「希望の牧場・ふくしま」
神戸・子どもと教育ネットワーク


~以下「希望の牧場」より転載~
「間もなく3.11から丸2年 代表手記を再掲します」
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2013/02/post_920f.html

2013/02/05

「福島、そして浪江にチェルノブイリを抱いて」(その1)
2012.3.1
「希望の牧場~ふくしま~」 代表 吉沢 正巳

kibou_20130225222117.jpg

3.11大地震・大津波、そして3.12福島第一原発一号機爆発事故から一周年がやってくる。
あの連続的な信じられない原発建屋の爆発という大混乱の中での
一週間の避難に次ぐ避難、以来 双葉郡と浪江町の時間は止まったままだ。

原発事故による放射能汚染地帯として日本に初めて現れた
認めがたいチェルノブイリ化地帯として避難した元住民の多くが、
古里の厳しい現実と未来が荒廃化の道であると認識しつつあると思う。

福島第一原発より20Km圏内、警戒区域の復旧・復興・除染などが
どれ程困難であるかは容易にみんなが理解している。
無理なのだ・・・

古里の厳しい現実と残された人生の未来の道を理解している元住民は
各町役場が言っている「町に帰ろう、戻ろう」という呼びかけが
空しい願望にすぎないと判っている。
すでに、浪江町・双葉町・大熊町・富岡町は
町としての機能や形、意味さえも崩れていく過程にあると私は思っています。

納税もなく、放射能汚染地帯に戻る意味も気力も無く、
ただ模様眺めで時間は経過して四月に発表される警戒区域見直しによって
町は分断され、住民の意思は分裂し、
避難住民は、より安全な警戒区域外に吸収合併されるだろう。
人口数分の一、あるいは十分の一の浪江は、
もう町ではなく村として存続の意味さえ問われるだろう。

3.12福島第一原発爆発以来、私たちは認めがたいチェルノブイリの再来としての
放射能汚染地帯として福島に浪江に抱いた運命の重い十字架を引きずりながら
子どもや孫の世代までも、犠牲と差別を受け続ける当事者として
東京電力と国に対して、無念の思いを晴らし、償いを求め続けたい。
自滅するわけにはいかないのだ。

四十年以上、福島の電力にたよって便利な生活をしてきた東京・関東の人たちには
連帯責任として今後は2倍の東京電力料金を負担してもらい
福島・浪江の被災地、被ばく地の大損害の償いをみんなですべきではないかと思う。

浪江には大柿ダムという、小高・浪江・双葉の水田地帯に水を送る大きなダムがあったが
高瀬川と共にセシウム汚染地帯となってしまい、米作りは意味がなくなってしまった。

子供たちはもう戻って来ないし、その親達も浪江には戻らない。
幼稚園・保育園・小学校・中学校・高校などは意味がない。

働く工場なども閉鎖され、再開のメドがもない。
病院、スーパー、商店だって意味は無く、水道・下水道だって地震で壊れただろう。

請戸などの漁港や各部落の津波の破壊状況は壊滅的だ。
塩害、ガレキの山も手つかずだ。
kibou1_20130225222117.jpg
(2012年2月撮影、請戸地区。倒れた電柱、ガレキの山、奥に見えるのは海)
撮影:Kumiko OTANI

福島第一原発の収束、廃炉作業が終わるまでは
ずっと放射能は拡散し続け出し除染など果たして意味はあるのだろうか判らない。

浪江の絶望的条件などすぐ十指ぐらいあがるが
希望的条件とは一体何か?
何を希望と言えるのか。

人間は考える動物として、意味がなくなってしまったという絶望的状況の中にあっても
何らかの新しい意味づけの下にあえて希望という背伸びした考えを持たなければ
自分に言い聞かせなければ、
精神が崩れてしまいそうだ。

『福島、そして浪江にチェルノブイリを抱いて』

決死救命・団結!そして希望へ。


Embracing Chernobyl, in Fukushima, and in Namie 3/01/12
by Masami Yoshizawa, Representative for Kibou No Bokujou, Fukushima

The one year mark is coming up since the big earthquake and giant tsunami of 3/11, and the nuclear plant accident of 3/12 by the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant.
Ever since the first week of chaos caused by the unbelievable and continuous explosion at the Nuclear Power Plant, followed by evacuation after another in the midst of the confusion, time has stopped for Futaba-Gun and Namie-Machi.

For many of the former residents who were forced to evacuate from the radioactively-contaminated area which, unacceptably, has become Japan’s first Chernobyl-ized land caused by the nuclear accident, they are coming to realization of the harsh reality and of the fact that the future for their homeland is just leading to devastation.

Everyone easily understands how difficult it is to restore, revive, and decontaminate the area located 20km from the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant. It is just impossible….

For the former residents who realize the harsh reality of their homeland as well as the future outlook for their remaining life, they know that the slogan by the City Hall of “Let’s go back, let’s return home” is nothing but a wish in vain.
I am feeling that, already for the towns of Namie, Futaba, Okuma and Tomioka, the function, form, and even the meaning of being a Town is in the process of falling apart.

Without any payment of taxes, with no spirit or reason left to return to a radioactivated, contaminated land, time just passed by while gazing at the scenery. When the announcement is made come April in review of the designated restricted zones, the towns will most likely be divided, and the residents’ opinion will probably split, and the evacuated residents will probably end up in a merger by the towns outside of the restricted zone.
A portion of the population, possibly one-tenth of Namie will no longer be called a Town, and may even be questioned if there would be meaning to survive even as a Village.

Ever since the 3/12 Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant explosion, we have had to endure carrying the heavy cross of fate in Namie, in Fukushima, in the radioactively-contaminated land which was unacceptably the second coming of Chernobyl. Here, as we firsthandedly must endure the sacrifice and prejudice for generations to come all the way down to our children and grandchildren, with need to have our regrets heard, we will continue to demand for compensation from TEPCO and the Japanese Government. We just cannot self-destruct.

For over 40 years, the people in Tokyo and the Kanto area have lead convenient lives due to Fukushima’s electric power, and perhaps henceforth should be asked to pay double of the utility charge to TEPCO as joint responsibility. I feel that this will be regarded as joint atonement for the damages incurred in Namie, Fukushima and the other contaminated areas.

In Namie, there is a big dam called the Ohgaki Dam which served as the water source for the paddy fields in Kodaka, Namie and Futaba, but since its water as well as Takase River were designated to be contaminated, there now is no reason to cultivate rice here.

The children will no longer come back, and their parents will not be returning to Namie. Having kindergarten, preschools, elementary schools, Junior High Schools, Senior High Schools will be meaningless.

The factories have closed down, and there are no means of reopening.
Having hospitals, supermarkets, and retail stores will have no meaning, and even the sewers and water service have been damaged by the earthquake.

The fishing port of Ukedo and certain other villages damaged by the tsunami are still in destructive condition, and the salt-air damage as well as the piles of rubble are still untouched.

(Photo taken February 2012 at the Ukedo district. The fallen poles, the piles of rubble, and the ocean seen in the back.)

Until the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant comes to an end and the reactor is dismantled, the radioactive substance will continue to be diffused, and I do not know if it even makes sense to decontaminate.

I can easily point out 10 or so if asked to name the hopeless conditions in Namie, but what exactly is a hopeless condition ?
What can one refer to as “hope” ?

As humans are animals with the ability to think, even in the midst of a hopeless situation which may seem meaningless, we must go on, creating a reason to look for a new meaning – daringly, to hold new thoughts of “hope” even if it should seem to be a stretch. Unless I try to convince myself of such, my spirit may break into pieces.

“Embracing Chernobyl, in Fukushima, and in Namie”

Defying death, saving lives, in Unity ! And, for Hope.

※アメリカ・カリフォルニア州在住のYKさまが翻訳してくださいました。ありがとうございます!


************************


「福島、そして浪江にチェルノブイリを抱いて」(その2)

2012.03.08
希望の牧場~ふくしま~代表 吉沢 正巳
kibou2_20130225222116.jpg


*翻訳はこちらから>> Translation from here.

三月になりました。雪も10cm積もりましたがあと一ヶ月で、春はもう近いです。
300頭の牛達も皆さんの応援、御支援のおかげで冬を越えられます。
子牛もたくさん生まれました。

三月で私は58才になり、常々、残りの人生20年をどう生きるかを考えている時に、
あの排気塔の見える距離で福島原発爆発事故にあってしまいました。
警戒区域設定で浪江町を追い出された被曝避難民として、
福島、双葉郡、浪江町のチェルノブイリの再来となっていく古里の現在までと将来の問題を
どう深く考え、又、どう行動していくかを、当然、中心のテーマとして、
ライフワークとして取り組みたいのです。
300頭という多過ぎで重荷でもある牛達と運命を共にしながら、
多少の被曝を受けながら、第3の牛達の生きる道と、
自分を支える”意地”とは何かを考え続けていきたいです。

さて、福島第一原発事故一周年にあたり、さまざまな被害を受けた福島県民、
特に警戒区域設定で追い出された避難民は、大損害を受けた被害者であります。

「原発事故レベル7」の爆発事故を止められなくて
大量の放射能を放出した東京電力と国策として原発を推進しながら
安全対策が全く不十分であった国、経産省等は共同の加害者である事は明確です。

原発の安全神話なる宣伝は、「五重の多重防護」によって
絶対安全だと盛んに行なわれたが福島原発事故以降は、国民はもう信用しない。

大地震、大津波のすさまじい破壊力の中で「安全神話」なるものは、
原発建屋のガレキと共に見事に崩れた。

私は東京、関東の皆さんを、福島の電力にたよって便利生活をして、
仕事をしてきた受益者だと考えています。
ブログの中にあった加害者ではないと思います。

東京電力料金15%値上げでも大変なのに、
2倍の電力料金負担など、とても受け入れないでしょう。

福島県浪江町は浜通りで唯一、発電所のない町です。
私が生れ育った千葉県四街道から父が牧場移転の為に
浪江町の満州開拓団時代の親友の紹介で浪江町立野に来た昭和45年頃に、
小高浪江原発計画(東北電力の)がありました。
長い根強い原発反対運動があって、今でも土地を売らない地権者が複数います。

南相馬市議会、浪江町議会は、福島原発事故の後に小高・浪江原発計画の
白紙撤回を決議し、福島県議会は福島原発10基全て廃炉の決議をしました。
しかしながら、浪江町はもう何度も赤く染められた放射能汚染地帯のレッテルを張られ、
もう戻る意味のないチェルノブイリになってしまったのです。
実に無念というか、虚しい限りです。

原発の高額な漁業補償金で幾たびも潤った請戸の漁師さんは津波で全てを粉砕され、
何も残っていません。お墓もです。

私の父は、新潟県小千谷出身であの戦争の時代満州開拓でソ連国境地帯に入殖し、
敗戦と共にシベリアに3年間抑留され、戦後、千葉県四街道に開拓入殖しました。

満州開拓団は、敗戦まぎわのソ連参戦で関東軍が逃げ出し悲惨な逃避行の中で多くの犠牲者を出しながら命からがら日本に引き上げて来たのです。

東北大震災、大津波、原発事故はあの日本の戦争の時代とは違うけれど
多くの命が犠牲となった。
戦時の棄民政策→満州開拓団の逃避行の多くの犠牲者、原発事故による棄畜政策→
国の指示による警戒区域内の家畜の殺処分による犠牲と農家の挫折。
国の棄畜政策は、やがて棄民政策となって警戒区域の避難民にも切り捨て策となって
転化されると思う。
いずれ我々は二本足の生きたガレキ扱いか?
原発バブルがふっとんで、双葉郡は放射能の中間貯蔵地域にされる。

双葉郡はもう町なんか止めて、
原発の隣に沖縄の困った普天間基地でも誘致したらと思う。
東京湾にはメガフロート原発で首都圏は電力自給してもらおう。
私達避難民は切れかかっているのだ。

Embracing Chernobyl – in Fukushima, in Namie (#2) 3/08/2012
by Masami Yoshizawa, Representative for Kibou no Bokujyou, Fukushima

It is now March. 10cm of snow has piled up, but one more month and spring should be here.
Because of your kind support and contributions, the 300 cows will be able to survive the winter.
Many calves were born too.

In March, I had turned 58, and while I was contemplating on how to live out my remaining 20 or
so years, I encountered the Fukushima nuclear explosion from a near distance where I can view the
Plant’s exhaust tower.
As a radiation evacuee who was chased away from Namie Town as it was designated as an
exclusion zone, I would like to deeply consider the issues involving the present and future problems
for my hometown of Namie-Machi, Futaba-Gun, Fukushima as it becomes the second coming of
Chernobyl . At the same time, I would like to consider what actions I will need to take and for it to
be the center theme as I tackle the issue as my life’s work.

As I share the fate with my cattle of 300 which are by far too many to handle and can be
a burden, and while we are contaminated to some degree, I would like to find a “third way of
life” for the cattle. And, as for myself, I would like to continue on reflecting on what this
“obstinacy” is, which acutally is what is supporting my entire being.

Now, in consideration of the first anniversary of the Fukushima No. 1 nuclear accident, we must
note that Fukushima’s prefectural residents are victims of various casualties. Especially the
residents of the exclusion zone who were chased out of their own homes are one of the
biggest victims with great suffering.

For the fact that nuclear explosive accident of “Level 7” could not be stopped, and for the fact that
the Government did not consider ample safety measures when they promoted Nuclear Plants
in our country while TEPCO was releasing large amounts of radioactivity, it is clear as day
that such entities as the Ministry of Economy, Trade & Industry, etc. are jointly responsible.

The safety myth of Nuclear Power Plants promoted to state that it was definitely safe in that
it was “multiply-protected in layers of fivefold.” However, after the accident, none of the citizens
would ever trust what they say.

Against the horrendous and destructive powers of the great earthquake and the great Tsunami,
such a thing as “multiply-protected and fivefold safety” fell to the ground along with the rubbles
of the nuclear plant building.

I consider the people of Tokyo and Kanto beneficiaries who have been able to lead comfortable
lives by relying on electricity provided by Fukushima.
I do not think that you are the responsible parties as it was mentioned on the blog.

As it is already difficult to manage with TEPCO’s fee increasing by 15%,
certainly, we note that you will not be able to accept the burden of paying twice the charge.

Namie-Machi , Fukushima is the only town in Hama-Dori that has no Power Plants.
I was born in Yotsukaido, Chiba, and moved to Tatsuno, Namie-Town in 1970 when my father
relocated to a ranch there through introduction of his best friend during the Manchurian cultivating days. Around that time, there was a plan to build the Kodaka Namie Nuclear Power Plant by Tohoku Electric & Power, but there was a long and patient opposition of the residents, and to this day, there
are a number of property owners who still refuse to sell their land.

Following the nuclear accident, the Minami-Soma City Council and Namie Town Council have decided to reconsider their original plans of building a Nuclear Power Plant in Kodaka and Namie, and the Fukushima Prefectural Council have resolved to decommission all 10 Nuclear Plants.
However, Namie-Machi has already been labeled as a radioactively contaminated land many times
over, and it has become Chernobyl, meaningless for the residents to return home.
Call it chagrin, it was all for naught.

The fishermen of Ukedo who had benefitted from time to time from the high compensation they received from the Nuclear Power Plant had lost everything in the Tsunami, and now there is nothing
left. Not even their cemeteries.

My father is originally from Ojiya, Niigata-Ken, and during the war, he had settled in the Soviet frontier zone as a member of the Manchurian Cultivating Group, and after the war was detained in internment for 3 years in Siberia. After returning, he settled in Yotsukaido, Chiba-Ken.

After the Kanto battalion fled against the Soviets near the war’s end, there were many victims during
the tragic escape, and the members of the Manchurian Cultivating Group struggled with their life to
return to their homeland of Japan.

The Eastern Japan Earthquake, the great Tsunami, and the nuclear power plant accident --- although
it is from a different era, many lives had been lost.

The Government’s abandonment policy of citizens in foreign land during the war → resulted in many victims during the escape by the Manchurian Cultivating Group; The Government’s abandonment of citizens due to the nuclear accident → resulted in abandoning and euthanisia of livestock inside the Restricted Zone by order of the Government, and the discouragement of the farmers.
The animal abandonment plans by the Government will soon become abandonment of the citizens
and the evacuees from the Restricted Zone may soon be deserted as well.
Are we eventually going to be regarded as a “rubble” with two legs ?
As the Nuclear Power bubble has burst, Futaba-Gun is to become an intermediate storage area for
radioactivity.

Futaba-Gun should just give up being a town, and
perhaps we should solicit for Okinawa’s troubled Futenma Base to be stationed right next to the
Nuclear Power Plant.
We can set-up a Mega-Float Nuclear Power Plant in Tokyo Bay, and the metropolitan cities
can take energy from there.
We the evacuees are at the verge of snapping.

※YKさま、翻訳ありがとうございます!

~転載終了~

希望の牧場「質問主意書《警戒区域への一時立入許可基準》」もう牛も人も限界、、
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2013/02/post_0dc0.html

ここは福島第一原発20キロ圏内
希望より絶望が表面に出てしまう場所
犬猫ボランティアさん同様
家畜ボランティアさんも苦しみながら活動を続けておられるのです
うちのとらまる「希望の牛 絶望の牛」
http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-11472928513.html

この子の未来はあるのでしょうか
kibou3_20130225223159.jpg

予約しました。
「絵本予約開始=けいかいくいき ぶたまるさんがいく=皆さま、よろしくお願い致します!」
http://ameblo.jp/kaze-amb/entry-11470831145.html

資金難、人力の不足など、苦しみぬいての活動をしています。
どうか、本を買ってください。ご寄付、基金をお願い致します。
応援してください。お願い致します。
社)なぜぼくらはおいていかれたの メンバー一同
keikai_20130226000605.jpg

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。