Edit your comment NAME TITLE WEBSITE E-MAIL COMMENT 動物のためあれこれ考えることは人間性のある証拠で、まともな人間なら当然と言えると思います。しかし、これが現実と対応するとき、多くの問題があるのです。今日、私は飼い鶏をおそらく猫によって殺されました。白内障の目の見えない鳥で私は何とか元気にしたいと思い、農作業に出ている時、庭に出していたのです。庭には網があり犬は入れません。猫しかいないのです。首が切れかかっていました。神は食物連鎖の法則を作り、それぞれの種に無数の敵と殺戮本能を植え付けたのです。そして生態系の最高に位置する動物や人間にも病原菌や競争者と言う敵を作りました。鳥は明らかに食料としてでなく殺戮本能のため殺されたのは見てわかります。もし、私たちが肉食をやめた場合、体格が小さくなることは避けられません。子供たちは乳製品を取らなければ低身長に悩むでしょう。また、動物から作られる医薬品、例えばコンドロイチン硫酸等はどのように確保すればいいのか?これも問題です。この神は明らかに善なる愛の神であるのは不可能です。私は以前、寄生虫に感染した鶏を看取りました。無数の透明な気味の悪いギョウチュウのような虫が雌鶏の下半身を食っている、そんあ情景でした。この生物を設計したのが、どのような存在か知りませんが、そこには吐き気のするような悪意がありました。絶対、神聖な生命などではありません。ですから、この世界には二種の神がいると思います。悪魔は悪神です。なぜならネガテイブな世界の創造主だからです。明らかに創造活動に加わっているのですから、善神の方もそれを承認しているのは間違いありません。それが古来から神や仏の存在を信じられないものとしてきたのです。何だか脱線してしまいましたね。 PASSWORD SECRET SENDDELETE